今年も学生のための面接指導が始まった。
学生達は、最もこれが苦手で、模擬面接であるのに、異常に緊張している。
かつて、専門学校で面接指導した時のことを思い出した。
ゲームプログラム学科の優秀な学生であったが、、彼はとてつもない“上がり症”で何度面接を受けても通らないので、校長直々に指導して欲しいと頼まれたことがあった。
小太りの見るからに内気そうな青年は、模擬面接をはじめた途端、色黒の顔が耳まで真っ赤になって、ぼそぼそと応えた。
これでは落ちるのが当り前だと思った。青年は力ない顔をしている。これからも彼は何度も落ちるに違いない。問題はそれによってやる気を失わせないことだ、と思った。
私は彼に言った。「キミは、きっと受かる。受かるまでボクが面倒見るからだ。落ちるたびに一緒に反省会をして、次の面接に備えよう。今度受ける会社も最後に通るための準備運動と考えて落ちてきたらいいよ。落ちてもいいんだよ」
そう言って励ました。どこか彼は安堵の表情を浮かべた。しかしそれからも彼は落ち続けた。それでもへこたれなかった。反省会のたびに”上がり症”がなくなっていくのが分かった。
そして私が指導をはじめて4社目で彼は、めでたく受かった。
この経験は、私に自信を与えてくれた。「面接は場数が解決してくれる」 という確信を得た。
私自身の面接体験はあまり参考にならない。新卒で入ったG出版社での面接の成功は、みんなが失敗してくれた賜物(?)であるからだ。
私は、大学を卒業するのがもったいなくて、5年間大学にいた。もう1年いるつもりであったが、親が許してくれなかった。従ってクラスメイトは、すでに就職していた。その社会人1年先輩がG社にもいて、こんなアドバイスをしてくれた。
「横山、グループディスカッションでは絶対しゃべるなよ。お前はおしゃべりだからダメだ。この会社はみんなおとなしい、寡黙なやつが好きなんだ。去年もディスカッションでほとんどしゃべらない奴が受かっているんだ。絶対しゃべるなよ」
こう念を押されていたので、絶対しゃべるまいと思って、黒板に書かれた出題をただにらんでいた。黒板には「小学校低学年の娯楽雑誌の夏休み特集号の企画を作ってください」と書いてあった。
ところが、始まってすぐ、競い合って発言する学生たちは、G社の主力商品である「学習」「科学」が頭にあったのか、「ハイ。ボクは夏休みの絵日記をやったらいいと思います」「ハイ。ワタクシは、昆虫の捕り方特集がいいと思います」などとのたまわっている。
黒板を見ているうちに、気がついた。みんなは学習の企画をすすめている。出題は「娯楽雑誌」の企画である。遊びである。みんな勘違いしている。
そこで、禁を破って仕方なく私はこう言った。
「娯楽雑誌だからさ、遊びの特集をしたらいいんじゃない?」
この発言は、その場にいた学生たちに激震となって伝わった。みんなシマッタ!と思ったに違いない。しばらく空白の時間が流れた。
仕方なく、また私は「都会の子がみんな田舎に行けるわけじゃないから、どこの団地にもある砂場の遊び特集でいいんじゃない。例えば……」と言った。
その瞬間受かったと思った。
だから、私の成功はみんなの失敗の賜物なのである。もしも、みんなが出題を理解して遊びの特集をしていたら、多分G社に受かっていなかったに違いない。
そうしたら、その後の人生も随分違っていたのだろう。それでも、いやその方が良かったのかもしれない。
だから、学生諸君、面接など、どうってことはないのだよ。