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泥魚亭好日記 〈美しさを楽しみ夢を育てる〉



淀屋辰五郎のプロジェクト

 淀屋辰五郎は大阪の生んだ近世最大の商人である。「淀屋橋」という地名にその名が残っている。通説では、あまりの贅沢さが咎められ綱吉から「闕所(けっしょ)」(取り潰し)にあい、没落したと伝えられていた。

 しかし、それは事実ではなく、あまりに商いが大きくなり過ぎ、莫大な額の大名貸しなどをしていたため、徳川幕府から危険視され、「国策」によってつぶされたのである。
 辰五郎たちはその動向を事前に察知し、“国策捜査”を巧みに逃れる。その後手代やその子孫たちの努力にによって淀屋家は再興され大阪に再進出を果たしている。幕末には明治維新のためにその莫大な財産を軍資金として全て朝廷に寄進しているのである。

 幕末日本に日米修好通商条約批准のためにやってきたタウンゼント・ハリスは、日本に来ると堂島に出向き、辰五郎が作った「先物取引」のシステムを学び、アメリカに伝えたという。シカゴにはその記念碑が残っているそうだ。世界で最も早く先物取引を始めたのは淀屋辰五郎なのかもしれない。
 また。辰五郎が流通のため大阪に作った運河を、その後ベルギーのアントワープという都市が真似をして建設したという。
 大阪を追われた手代たちは、鳥取県の倉吉に逃れ、その地で江戸時代の農業に革命をもたらしたとも言われる「稲扱き千刃」という農具を生産し、全国に販売している。
 
 これらのことほとんど全ては、作家であり歴史家である新山通江女史が、師の横山三郎先生から引き継いで20年以上かけて研究し、考察し、発見して長編小説『真説淀屋辰五郎』上・下巻に著している。

 地域活性化の一環として、OIJは『地域の人財を発見して映画に残そう』というプロジェクトを起こそうと思う。淀屋辰五郎はその第一弾で、新山先生や地域の方たちと相談の上、大阪と鳥取の共同プロジェクトとして11月後半に、OIJの大阪支部を中心にして発足させていこうと考えている。
 一応3年後の映画化を目指して進めていきたいと思う。関係者を招いて2ヶ月に1度くらいのペースでシンポジュームを開催し、その結果をOIJのサイトで発表する予定である。
  2年後の製作発表を目指して進行させていきたい。
 
by project_oij | 2006-10-20 15:10
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横山征次がOIJの理想をめぐる日々の想いを綴ります

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