泥魚亭好日記 〈美しさを楽しみ夢を育てる〉



ワタクシの誓い

 知人に勧められて、土曜夜、NHKで放映されている「チャングムの誓い」を見ている。
見はじめて2ヶ月くらいになるが、すっかり“はまって”しまった。
 毎週土曜日の放映が待てなくて、先週は”掟”を破ってDVDを借りて先のストーリーまで見てしまった。この分でいくと、ホントはあと数ヶ月かかる予定だが、来月中には全部見終わてしまうに違いない。なんでこんなにはまってしまったのか……。
 子供のころラジオの連続放送劇に夢中になって以来のような気がする。
 確かにストーリー展開のうまさは抜群だし、キャラのかぶりがなく人物の描き方もいいし、抑制の効いた恋愛表現も“おじさん族”を泣かせる。映像表現は古いパターンっぽさはあるが、それでいい、と納得させてくれる。激しいカメラワークや目の痛くなるようなアップテンポの編集など奇矯さは必要ないのである。

 映画の方でも韓流は、ハリウッドをしのぐ勢いだが、TVドラマも日本のような軽さ薄さ粗雑さがなく安心して見ていられる。韓国TVドラマの全部が全部こんな丁寧な作られ方をしているわけはないだろうが、一作でも一年間に渡ってこういう連続ドラマが作られるとは、端倪すべからざる国ではないか。
 韓国のTV視聴率はどうなっているだろうか。視聴率戦争によって、ただただ著名な俳優やアイドルやお笑いタレントを出演させている日本のドラマは、いい俳優の出番を失わせて惨憺たる有様だが、このドラマに出てくる俳優たちは、脇役陣も演技力がしっかりしている。古きよき日本がそこにあるという感じである。
 韓国は、歴史の重要性をよくわかっている気がする。韓国人の考え方や人生の見方など、このドラマには随所に出てくる。朝鮮民族の哲学をしっかり描いている。このようにあって欲しい人間像が、生活の場でたくさん描かれている。
 それに比べて、正面切って日本人の哲学や理想的な人物を描くようなドラマが日本にあるのだろうか。ドラマの多くはただ軽くおもしろくである。悲しい限りである。

 改めて、映画やTVドラマによる教育は極めて重要であると思う。OIJの運動の一環として、映像による展開を早い時期に開始したい。ワタクシの誓いである。
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# by project_oij | 2006-05-29 17:18

当事者の不在

 土曜日に、ある私立大学のO学部長に会った。
 すでに定員割れをしているその大学は、給与カットをし、学内改革に向けて様々な施策を立てているようだが、現場の先生方に一向に危機感がなく、具体的にはなかなか進まないと、嘆いておられた。改革派のO部長は孤立してしまっているので、手伝って欲しいとの相談であった。当事者不在のまま傾いていく大学。座して死を待つしかない大学。よく聞く話である。

 少し前になるが、改革案を提出したある大学の学長は、「横山さん、学長を代わってくれないか。自分の任期は間もなく終わるので、この時期に矢面に立ってやるのはイヤだ」とおっしゃった。自分のことしか頭にない学長、ご専門は哲学である。
 ある大学の学部長の任期は2年間である。その間、学部長たちは自分の任期中に波風が立たないことをひたすら願う。その結果、大事なことは全て先送りとなる。決まらないのではなく、決めないのである。講師を増やすことはすぐ決まるが、減らすことはほとんど決まらないと、その大学の理事は嘆いていた。

 リスク管理などを教えている先生はたくさんいるはずだが、自らリスクを担って行動をするという学者のなんと少ないことか。
 そのO学部長もおっしゃっていたが、「教授たちに呼びかけても改革案がぜんぜん出てこない」のだそうだ。恐らく、案を出し自分が当事者にされることを恐れているのに違いない。

 企業の場合の改革は 社長が音頭をとって若手のプロジェクトチームを作り、権限を与えて一気に成し遂げていくというパターンが多いが、大学においてもそれをしないことには、悲劇的な状況を迎えるのは目に見えている。しかも、もしも”悲劇”が訪れたとしても、誰もその結果に責任は取ろうとしないのである。
 はっきりしたゴールの姿を描き、現在の自治体がそうであるように、理事長か学長が先頭を切って、活きのいいプロジェクトを作って走るしかないのではないか。
 多くの人間に当事者能力を求めても不可能である。「私がやる、私が責任者である」と宣言をされた方と、苦労や困難を覚悟でご一緒に取組むしかないと思う。
 O学部長には、十分そうした熱さを感じることが出来た。後は学部長のご決断があるのみである。
 
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# by project_oij | 2006-05-22 12:11

心技体ということ

 「打撃の真髄ー榎本喜八伝」(松井浩著・講談社)を読んだ。
 日本プロ野球で最年少2000本安打を記録した名選手榎本喜八の話である。
1000本安打の記録では、イチローよりも早く達成している。
長島・王の一世代前の選手で、名前や活躍ぶりは何となく知っていたが、かくも凄まじい”求道の人”であったのかは知らなかった。

 松井さんの関心は、榎本という天才打撃職人への人間的興味が第一であるのはもちろんだが、それ以上に、日本人の身体に対しての深い技術探求、つまり、人間は自らの肉体を自らの意志と方法でどこまで自由にコントロールできるかを、榎本の求道の過程の中に探ろうとしている。
 4、5年前から武術に関心を抱くようになり、柳生新陰流に関する本などを読むようになっていたので、わりあいスムーズに読みすすめることが出来たが、通常は「臍下丹田」などといった、耳慣れない言葉がたくさん出てくるこの本は、まさに榎本選手が孤立していったように、若い世代には難しい内容であるに違いない。しかし、陸上の末続選手がナンバ走りに、巨人の桑田投手が古武道に飛躍のヒントを求める時代である。今の時代であればもう少し彼の言動は理解されていたであろう。

 武術の世界では、奥義を極めた人物に「達人」という尊称を与えるが、それがいかにスゴイコトであるのか、この本は教えてくれる。榎本が、死ぬほどの努力によって、技術的身体的には一度達人の域に手が届くが、その時期は実に短く、それから後は、転げるようにその域から落ちていく。選手として破綻してしまうまで落ちていく。

 榎本の悲劇は、結局「技」「体」を極めることは出来たが、「心」を極めることの出来なかった点にあるのではないか。様々な東洋的な訓練で、身体をコントロールする技術を達成した(と思われた)時、その現実に自ら感動し、”快感”に浸ってしまう榎本の姿が描かれているが、まさにその”快感”そのものに落とし穴があったような気がするのだ。
 それ以後は、榎本は、その”快感”を追い求め、そこに達しない自らを責め、達成できない緊張感が、「技」「体」の理想の形を忘れさせ、達人の域からどんどんと遠ざけていったように思えるのである。

 すべてのことに心が囚われることなく、「無心」になれるとは、人間にとっていかに大変なことか。千日回峰などの荒行があるのはその大変さの証であるに違いない。
 達人とは、結局、”今が頂点である”などと満足することなく、常に無心に生き続けることのできる人ということになるのではないか。そういう「心のあり方」のできる人のことではないか、という気がする。優れた芸術家が「あなたの一番気に入っている作品はどれか」と聞かれると「強いていえば最新作だが、まだない」などと応えるが、それは、そういうことなのではないか。

 少林寺拳法の達人、OIJに参加いただいている禅林学園の山崎校長にいつかお考えを伺いたいと思う。

 
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# by project_oij | 2006-05-15 11:39

地方大学

 連休を利用して地方のある大学へ行ってきた。再生の候補に上がっている大学である。

 その大学は、小さな地方都市の郊外にあった。高速道路を下りて左右に水田を見ながらしばらく走ると,小高い丘が見えて来る。大学はその丘の上にあった。本部校舎をはさんで左右に二つの講義棟。こじんまりした大学である。休みのせいか人影は全くなく寂寞とした感じが漂っていた。
 校門の側に小学校で見かけるような動物小屋があった。学生たちの癒しのためにおいてあるのだろうか。何がいるのかのぞこうとしたら、後ろから6,7名の女子学生の一団が自転車に乗ってやってきた。そして、いきなり小屋に駆け寄って「生きてる!生きてるよ!」とはしゃいでいる。
 どこかで傷ついた動物を保護でもしたのだろうか、全員が無邪気に喜んでいる。都会の大学で大人びた学生たちばかり見ている私にとっては、子供のようなその姿に、不思議な感慨を覚えた。

 俗世と隔絶した戒律の厳しい僧院が似合いそうな場所にこの大学を建てた関係者たちは、ホントに定員どおり学生が集まると思っていたのだろうか。ただ、学生の数はともかく補助金が得られ、反対の少ない「公共事業」として大学が設置されたのではないだろうか。今日の破綻は想定内のことであったのではないか。想定外は、国や、県や、市やが支援を打ち切る、ということだったのだろう。こういう予想された破綻が、地方大学に多く見られるに違いない。
 
 今日のこの破綻の構図は、何も大学に限ったことではない。国家の経済体制の基本的な変化によって生まれていることであり、どこにも生まれており、どこにも持っていきようのない難題なのである。地方が「自立の思想」に目覚め、当事者として叡智を発揮しない限り、解決しない問題である。
 結局地域活性化とそれは同じように、地域特性を全国マーケットを視野に置きながら発見創造していくしか道はないのではないか。遠回りかもしれないが、何故この大学はここに生まれたのかを問い、”オンリーワン大学”の道を探ることである。

 まだ、詳しいことは発表できないが、この地方大学の再建策について、OIJは提案の準備をしている。そのためにも、私は直接この大学を見ておく必要があった。予想以上の厳しいところにある大学であったが、この立地空間を生かす方法はあるように思う。もっとも、この地の関係者たちに、変革への熱い思いと学生たちへの強い責任感を抱いてもらうことが、ぜったい条件であるのだが。 
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# by project_oij | 2006-05-07 17:23

京都、行こう

 関西の医療少年院で治療に当たっている精神科医の方が、最近の少年犯罪者と接して気のついた事として、次のような特徴を語っていた。
 ①孤立を好む
 ②犯した犯罪の大きさと眼前にいる少年の弱弱しい姿にギャップがある
 ③思い出を語れない
 ④未来像を失っている
 すべて、何となく想像のつく事だが、特に③の思い出を語る言葉を持てない姿に痛ましさを感じる。
 しかし、その姿は彼らの特有の特別な事とは思えない。現代人は、実はみんな「思い出」という物語をあまり持てなくなっているのではないか。デジカメや携帯電話などの進歩で何時でもどこでも瞬間の姿を捉えなんでもかんでも残そうとするが、それがどういうシチュエーションで生まれたのか、語れる事がなかったりするのではないか、という気がする。
 思い出という起承転結を持った「ストーリー」ではなく、発作的な衝動や刺激で人は動いているのではないか。例えば、アザラシがいたといっては川や海に押しかけ「かわいい!」などとバカ騒ぎをするが、一瞬の内に興味は他に移るなどの現象である。

 今盛んに「京都、行こう」というCMが流れる。京都「に」行こうでもなく、京都「ヘ」でも、京都「は」でも、京都「なら」行こうでもない。京都と、思い立ったら行こう、というわけで、いわば”衝動旅行”の勧めである。意識的な方向性や目的性や主体性を示す助詞の欠けたコピーは、現代の衝動的な行動特性を見事についたコピーである。優れたライターの仕事に違いない。
 つまり、現代の多くの情報(特にテレビ情報)は刺激によって欲望などの本能をつかさどる脳幹に働きかけ、理性や創造をつかさどる前頭前野に働きかけてこない。だから、言葉として表現できる記憶として、思い出として残っていかないのである。
 マクドナルドのCMなどはその際たるもので、食べたい衝動に駆られたデパートのエレベーターサービス係りの女性が、お客さんがいるのにドアを閉めたままハンバーガーをむさぼるのである。
 
 現代は情報過多の時代である。ものを買わせることを目的にあの手この手、よってたかって煽りたてる。まだ、「可塑」的な状態にある気弱な少年たちの中に、それによって迷い踊らされ傷つく者が出てきてもちっとも不思議ではないのである。、欲望を煽られているのに、いろいろな意味で「辺境」にいる者たち、実現の可能性を摘み取られている者たちの中から、絶望的な暴発者が生まれるというのも、必然性があるのではないだろうか。
 先の精神科医は、「可塑」的であるがゆえに、全員とはいかないが、自らと向き合い語る言葉を持ち、未来への希望を抱くようになれば、少しずつ回復するという。

 プロジェクトOIJの目的の一つにしている「地域活性化」は、人々が、地元に生きている喜びや生きがいを感じる「いい思い出」を作る運動でもあると考えている。

 
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# by project_oij | 2006-04-23 14:13

三段の壁

 知人のKさんから面白い話を聞いた。
 将棋の羽生名人によると、現在将棋の技量の向上を図るのにネットなどの利用が盛んであるが、才能のある人が努力すれば二段までは昇進できる。しかし、二段と三段の間に厚い壁があってこれをなかなか越えられない。プロとして認められる四段の壁がまた一段と高く難しい。その結果、三段の壁の前後に”大渋滞”が起きている、というのである。
 単に頭のよさや知識の学習でけでは強くなれない勝負の世界の面白さがそこにあるような気がする。

 プロジェクトOIJが設立を目指している産業創出大学は、3.4年生時に徒弟制を導入し、”師匠”から技術だけでなく、考え方や、生き方、立ち居振舞い、話し方、など、全ての”生き様”を学ばせようと考えている。徹底した模倣によってこそ総合的な創出力を見につけることができると考えているからである。
 茂木健一郎さんもおっしゃっている通り、創造が、イメージとイメージの組み合わせによって生まれるのであれば、創造力を高めるためには、イメージ(知識・技術)を豊富にするとともに、「組み合せ方」も学ぶ必要がある。それは経験に基づいて形成されていくもので、”勘”とか”ヒラメキ”とか”読み”いったいわゆる暗黙知といわれるものである。その知の育成は、尊敬する師の姿を見て真似る体験を繰り返し、現場での検証を重ねることで少しづつ成し遂げられていくものに違いない。それこそ、「三段の壁」を越えさせる力であるように思う。

 産業創出大学のビジネスプロデューサー講座などは、できるだけ無料でネット上に展開していき、二段までの指導を行い、三段の壁に挑んでいきたい人が、産業創出大学に入学してもらうようにすると、効果のある人材育成ができるのではないだろうか。早速ネット学習講座に取り掛かりたいと思う。

 4月17日、一橋如水会館に40名の方にお集まりいただき、正式認可の後の第1回プロジェクトOIJの総会を開くことができた。いよいよ本格活動の開始である。
 次回総会に、よい報告が出来るように全力を注ぎたいと思う。会員各位のご協力のほどよろしくお願いしたい。
 
 
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# by project_oij | 2006-04-19 11:42

てっこんさん

 CGアーティストの「てっこん」さんから突然のメールがあった。
もう10年以上前、出版社と組んで育児用CD-ROMを企画して以来の連絡である。
懐かしくてすぐ電話し、翌日会うことにした。

 「てっこん」という珍しい名前は、若き画学生であった彼のために、ある易者がつけてくれた画号である。もともとは漢字であったが、その漢字が気に入らなくて音だけもらって平仮名で表記するようにしているそうだ。
 てっこんさんは、ずっと「ひらけ!ポンキッキ」のCG映像を作っている。その間たくさんのCG短編アニメの他、35体にのぼるキャラクターを作っている。その全体のビジネス展開をプロデュースして欲しいという依頼であった。

 てっこんさんのやさしいお人柄とユニークな発想から誕生した”TEKKON WORLD”の住人たちはとても魅力的だ。ビジネス的な興味もあるが、美しい色彩と不思議な形をした生き物たちに魅せられ、面白いプロジェクトになると思い、すぐOKした。
 てっこんさんの世界は、長新太の絵本のようなファンタジーさと、オノ・ヨーコのようなユーモラスだが本質をズバっとついてくるような鋭さにあふれている。
 35体のキャラクターを生かして、単純でオシャレな話を作り、連続アニメにしたら幼児たちの人気を集めるのではないかと思う。才能のあるストーリー作家を見つけてプロジェクトを組めば、相当面白い仕事になるのではないか。そう思って提案すると、てっこんさんも是非にとおっしゃる。共振し合える人との話は楽しい。どんどん夢が膨らんでいく。

 OIJで企画している幼・小児のための“現代版寺子屋”夢育塾のシンボルキャラクターとしてもいいのではないかと思う。
 教材案もてっこんさんからアイデアをいただいた。
 また、いい萃点に出会えたようだ。
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# by project_oij | 2006-04-10 13:14

キャリア形成

 昨日依頼があって、高校生のためのキャリア指導ビデオの撮影を行った。
「キャリア形成 3つの視点」というタイトルである。出来上がりは30分程度だが、カメラを前にしての撮影はどうもうまくいかない。リテイクの繰り返しで、3時間もかかってしまった。スタッフにはホントに申し訳ない。
 キャリアは、人生、職業、成功など様々に訳されているが、今回は「自分の人生」というような意味で使用した。
 「3つの視点」とは
  ①美しさにこだわる
  ②イメージからはじめる
  ③我(われ)を忘れ、我(が)を捨てる
である。
 ①の美しさへのこだわりとは、美しさを発見し、対象と一体となるようなイマジネーション豊かな生き方のすすめである。そのためにはたたずむ時を持ち、相手を思いやり深く観照し、愛情あふれた生き方をすべきであると。「美」の論理は「生産・消費」の論理によって欲望の権化と化した自己を昇華させ統合する。
 ②のイメージからはじめるとは、ゴールや目標の姿、完成像が明確にならないと、自発的な行動は生まれない。イメージの想起こそが行動への動機付けである。創造はイメージとイメージとの組み合わせである。(脳科学者・茂木健一郎) イメージを抱負にするためには、尊敬できる人に”弟子入り”して徹底的に真似をせよ、と述べた。
 ③の我を忘れ、我を捨てるでは、夢中で生きることの大切さと自己中心的な考えを廃し、「場」=チームやプロジェクトを中心に考えるような生き方をすすめた。
 抽象的な概念を分かりやすく話すのホントに難しい。大学の授業のように90分間あるならまだしも、その三分の一では、"例え話"を入れる時間が全然ないため、大学生に話すよりも難しくなってしまったのではないかと心配である。
 菊池ディレクターの”名人芸”におすがりするしかない。

 私は、そのような生き方によって、価値観を変えることが大切であると考えている。
 その結果、次のような価値観を形成させたい。
  つらいことを楽しく(労働価値観)
  楽しいことを深く(技術価値観)
  深いことを美しく(表現価値観)
である。
 これはプロジェクトOIJの基本的教育理念でもある。OIJでは、小学生のころから少しずつ教えていくような体制を作っていきたいと思う。
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# by project_oij | 2006-04-07 20:27

萃 点

 たくさんのことが集まり交差する点を萃点という。粘菌の研究で高名な明治の天才博物学者南方熊楠は、偶然と必然の交点を萃点といっているようだ。真理の発見とはまさに萃点にある、とは多くの優れた学者たちも吐露しているところである。
 前夜の実験の失敗という偶然がノーベル賞をもたらした。分子の構造が美しかったので、そちらを選んだら大発見につながった。大学の裏庭の土を記念に集めたらその中に新発見をもたらす酵素があったなどなどである。偶然は、必死で研究している者への“神からの贈物“ということかもしれない。

 プロジェクトOIJに奇跡をもたらしている“萃点”があることは、前回述べたとおりである。まだほんの一歩を踏み出したばかりだが、困難と思われていたことに突破口を与える人物が突然登場してくるのである。説明のつかない偶然が重なっている。
 OIJの萃点は、恐らく
  ①実現への強い思いを持続させること
  ②その思いを多くの人に語ること
  ③行動をすることを止めないこと
 によって生まれてくるに違いない。是非ご協力をお願いしたい。
 
 挽地さん、杉崎さん、太田さん、安井さんたちのご協力で、ステキなロゴとホームページが出来上がった。基本コンセプトをしっかり理解していただいた上での作品で、ホントに感激している。
 特に、ロゴマークは、“動いているものをそのまま形にして欲しい”という、無茶な注文であったが、 挽地・杉崎コンビが信じられないようなデザイン力でそれをものにしてくれた。
 どんな必然と偶然が重なって「萃点」が生まれたのか、17日の総会でじっくりお話をお聞きしたいと思う。
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# by project_oij | 2006-04-04 22:45

大器晩成

 養老孟司さんの「バカの壁」「超バカの壁」、そして藤原正彦さんの「国家の品格」が売れに売れている。
ほんの少し前まで、お二人はほとんど無名に近い学者であった。お一人は解剖学、もうお一人は数学者。理学系基礎分野の地味な研究者である。お二人とも理学系である点に現代的な意味を感じる。

 戦後間もなし、哲学者の西田幾太郎の「善の研究」が大ブームを引き起こす。戦争とは何であったのか。人間とは何なのか。人間いかに生きるべきか。日本人は根源的なところで自らにそう問い掛けていた。
 やがて生活を立て直し、豊かな時代が始まると「列島改造論」である。何ができるか、だけを考える時代になっていった。工学や経営学がもてはやされる時代である。
「世界一の時価総額」を手に入れるために何が出来るかだけを考えて躓いてしまった若者も生まれた。

 そして今、理学者のお二人は、人間とは何であるのか、日本人とは何なのかを問いかけている。戦後、焼け野原になってしまった国土を目の前にし、その現実の前でうろたえながら、何をすべきかを考えていた日本人が、間もなく物質的な富を得、より豊かさを求めて、何ができるかを考えた。そして、富だけでは満たされない自分に気づき、殺伐とした現実の中で、結局これは何であったのかと、反省する。
 日本人は、戦後60年を経て、やっとバランスよく、何であるのか、何をすべきか、何ができるのかという問いかけを始めたということではないか。バランスよい問いかけはそれなりに時間がかかる、ということではないのか。

 養老、藤原のお二人とも高齢になってからの“デビュー”である。大器晩成のお二人と言っては失礼であろうか。
戦後の日本も“還暦”を過ぎた。“大器”であるのかどうかは分からないが、我が愛する国家が“晩成”するために全力を注ぎたいと思う。

 プロジェクトOIJの活動を始めてから、いろいろな“奇跡”に出会う。望んでいることを解決してくれる御仁が突然目の前に現れるのである。もう何度もそんなことが起きた。神秘主義者ではないが、何者かが後押ししてくれているような気がする。このプロジェクトを時代が待っていた、ということかもしれない。
 生来楽天的に出来ているので余り信じてくれなくてもいいが、私は今、このプロジェクトOIJは必ず成功すると確信している。

プロジェクトOIJ専務理事 横山征次
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# by project_oij | 2006-04-03 13:36


横山征次がOIJの理想をめぐる日々の想いを綴ります
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