泥魚亭好日記 〈美しさを楽しみ夢を育てる〉



淀屋辰五郎のプロジェクト

 淀屋辰五郎は大阪の生んだ近世最大の商人である。「淀屋橋」という地名にその名が残っている。通説では、あまりの贅沢さが咎められ綱吉から「闕所(けっしょ)」(取り潰し)にあい、没落したと伝えられていた。

 しかし、それは事実ではなく、あまりに商いが大きくなり過ぎ、莫大な額の大名貸しなどをしていたため、徳川幕府から危険視され、「国策」によってつぶされたのである。
 辰五郎たちはその動向を事前に察知し、“国策捜査”を巧みに逃れる。その後手代やその子孫たちの努力にによって淀屋家は再興され大阪に再進出を果たしている。幕末には明治維新のためにその莫大な財産を軍資金として全て朝廷に寄進しているのである。

 幕末日本に日米修好通商条約批准のためにやってきたタウンゼント・ハリスは、日本に来ると堂島に出向き、辰五郎が作った「先物取引」のシステムを学び、アメリカに伝えたという。シカゴにはその記念碑が残っているそうだ。世界で最も早く先物取引を始めたのは淀屋辰五郎なのかもしれない。
 また。辰五郎が流通のため大阪に作った運河を、その後ベルギーのアントワープという都市が真似をして建設したという。
 大阪を追われた手代たちは、鳥取県の倉吉に逃れ、その地で江戸時代の農業に革命をもたらしたとも言われる「稲扱き千刃」という農具を生産し、全国に販売している。
 
 これらのことほとんど全ては、作家であり歴史家である新山通江女史が、師の横山三郎先生から引き継いで20年以上かけて研究し、考察し、発見して長編小説『真説淀屋辰五郎』上・下巻に著している。

 地域活性化の一環として、OIJは『地域の人財を発見して映画に残そう』というプロジェクトを起こそうと思う。淀屋辰五郎はその第一弾で、新山先生や地域の方たちと相談の上、大阪と鳥取の共同プロジェクトとして11月後半に、OIJの大阪支部を中心にして発足させていこうと考えている。
 一応3年後の映画化を目指して進めていきたいと思う。関係者を招いて2ヶ月に1度くらいのペースでシンポジュームを開催し、その結果をOIJのサイトで発表する予定である。
  2年後の製作発表を目指して進行させていきたい。
 
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# by project_oij | 2006-10-20 15:10

公(おおやけ)について

 昨日知人から「公(おおやけ)」について話して欲しいという申し出があった。雑誌の連載テーマにしたいということであった。

 こんなことを話した。

 私は「公」ほど今汚れてしまった概念はないように思う。「公」は田中康夫元長野県知事が言ったような「パブリックサーバント」の世界ではなく、社会現象にもなっているように無責任の体系に守られ不正を行う「私」の”隠れ蓑”になっているのである。
 「公」の私物化、不正が組織的にたいした罪悪感もなく行われ続けているという現実は、何故もたらされてきたのか。

 かつて外務省事務次官は、イラク戦場において孤児の救済活動をし、拉致された女性やジャーナリストに向かって「自己責任論」を説いた。
 機密費の名のもとに「私」の不正使用が指摘された外務省のトップが、外地にいる日本人の保護は「公」としては当然であるにもかかわらず、まるで「公」としての責任を放棄するかのような発言をしたのである。
 この「自己責任論」はマスコミに乗り彼女たちはバッシングを受けた。ノイローゼになるほどのである。それからこの「自己責任論」は大流行していく。

 私はこの「自己責任論」は、結果的に「公」の責任放棄であり、それが常識化されることによって「私」の責任は拡大され、同時に「私」の権利の拡大をもたらしてきたと考えている。

 国策捜査とまで言われながら、検察はホリエモンを起訴した。「検察は正しい」という「公」の価値判断を国民に見せつけかったのであろうが、その検察庁も裏金騒動で慌てふためいた前歴がある。金銭欲という「私」の欲望の最大のものを実現したホリエモンは堂々と「私権」を主張するが、それに対して検察の論理に力強さはない。
 かといってホリエモンの姿を私はとても美しいとは思えない。「私」をかくまでほしいままに解放しておくことが果たして正しいことなのだろうか。

 親殺し、子殺しなどの現代の殺伐とした風景は、「私」欲を煽り立て、肥大化させ、購買意欲をかきたてた結果なのではないか。近代の「私」の解放は、欲望の解放となり、人間性崩壊の危機すらもたらしているのである。

 「公」にも「私」にも抑制の論理が必要である。抑制することが正しいことなのだ、という価値観が必要に思う。
 それを実は日本人はDNAのように持っている。
「おかげさま」「もったいない」「恥ずかしい」「顔向けが出来ない」「まわす」「待つ」
 その言葉に先にあるのは「世間様」である。
 行動(振る舞い)に対して倫理的に美的に絶対的に正しい判断をしてくれるもの。それが世間様である。それは宗教的なまでに日本人が畏れ、正しさを信じて疑わないものである。
 近江商人は言っている。「売り手よし、買い手よし、世間よし」。お客とお店だけでなく、世間まで納得させるものでないと商品とは言わない。継続的な商売は出来ない、してはならないといっているのである。

 世間様の神通力が現在落ちていることは承知しているが、借り物の近代の”衣服”を脱いで、伝統的な日本人の知恵に学んでみることが今ほど必要な時代はないのではないか。日本人の知恵が資本主義をより発展的形態にしていくためにも必要とされているのではあるまいか。
 そんな気がして仕方がない。

 
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# by project_oij | 2006-09-06 16:32

続・風の又三郎

 黒澤監督が亡くなられてからどれほどの時間がたってのことだったろうか。多分2年ぐらいは経っていたと思う。
 大学からの講演の依頼で樋口真嗣監督(今『日本沈没』で評判)のオフィスを訪ねた時のことだった。ドアを開けると正面にどこかで見たタッチの絵がかかっていた。それは、学帽をかぶり学生服を着た少年が身体をくねらせ飛翔しているような水彩画であった。私は見た瞬間に何故か、「これは風の又三郎だ!」と確信していた。
 樋口監督と会うと、早速「あれは誰の絵ですか?」と聞いた。「黒澤監督です」と樋口監督。
 「どうして黒澤さんの絵があそこに?」
 「今黒澤監督脚本の『翔べ!』という作品を僕が作っているからです」
 「そうですか、風の又三郎のシナリオは出来ていたんですね」
 「え?横山さん今何とおっしゃったんですか?」
 「風の又三郎。違うんですか、そのシナリオ?」
 「宮沢賢治の?」
 「ええ。実は・・・・・」
 それからしばらく、私は学研当時黒澤さんに「風の又三郎」の映画化を頼み、中断したいきさつを話した。あの絵は、多分主人公のイメージカットに違いないと伝えた。
 じっと聞いていた樋口監督は、「うーん……」とうなってから
 「何故横山さんは早く僕にそのことを話してくれなかったんですか」
と、半ば詰問するような調子で話された。
 「あのシナリオには、そんな背景があったんですか。全々知りませんでした。だから黒澤さんの意図が読み取れないまま作ってきたんです。言われてみると風の又三郎ですよね。もう8割完成しているんですが、それを聞いたら、このままでは完成出来ないな、困っちゃうなあ・・…」
といって、溜息をつかれた。
 なんということだろうか。黒澤さんはシナリオまで書かれていたのである。
 それをなんと特技監督の樋口監督が作っていたとは!

 それから、また数年を経て、「黒澤プロ」のTプロデューサーから別件で出版の相談を受けた。
その時、何となくまた風の又三郎の話になった。Tさんは当時は黒澤プロに属してはいなかったのでその話はご存知なかったからだ。
 樋口さんのことを話し終わった時のことであった。突然Tさんは「横山さんだったのですか!」というではないか。
 「樋口さんは結局完成をさせなかったんですよ。急にこれ以上製作ないと言い出して。原因が良くわからなかったんですが、今分かりました。横山さんが原因を作っていたんだ。たしか2億円が飛びましたよ」

 まさか樋口さんの作品が中断をしていようとは! あまりの驚きで一瞬言葉を失ってしまっていた。
 黒澤さんの完成の思いは、まだ終わってはいないのである。
 
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# by project_oij | 2006-08-31 17:50

風の又三郎

 人生をもう一度やり直すとしたら、何時から、何処からやり直したい?
その質問にあなたならどう答えるのだろうか。私には、明確にやり直したいその時と場面がある。

 1984年のことである。私は黒澤明監督の『乱』の衣装を中心に『黒澤映画の美術』という写真集を作っていた。その関係で時々撮影中の監督を尋ねたり、御殿場の別荘にお邪魔をしていた。
 そんなある日、当時勤めていた学研の古岡秀人会長から呼び出しを受けた。
 「キミは黒澤明監督と親しくさせていただいているようだが、監督に頼んで欲しいことがある。次回作に宮沢賢治の『風の又三郎』を撮ってくれるように頼んでもらえまいか。制作費は学研が出す」ということであった。
 まだ『乱』の撮影中であり、次回作の相談ができるのか不安であったが、食事にお誘いを受けた時思い切ってその話を切り出した。どうすればOKをしてくれるのか、考えた末に”殺し文句”を思いついていた。
 「監督、日本の子供たちが映画を監督の作品から見始めるというのはステキだと思いませんか?」
 監督は満更でもない表情を思い浮かべた。シメタ!と思って、間髪をいれず会長の意向を伝えた。すると即座に返事が返ってきた。
 「でも、僕が撮ると老人の思い出話になるよ」とおっしゃったのだ。
 意外な返事に、正直言って”これは困った”と思った。老人の思い出話になると会長が恐らく狙っているだろう、文部省特選をいただいて全国にいる販売員”学研のおばちゃん”に前売り券を売ってもらえなくなってしまうのではないか。
 小賢しくもそんなことを考えて、会長に伝えた。詳しくは憶えていないが、報告の仕方も大分トーンが落ちていたに違いない。「そうか……、難しいな……」と会長も迷われ、この話は消えていった、と思っていた。
 当時監督のマネージメントをしていた息子さんの黒澤久雄さんに会長の意向をありていに伝えていたからだ。
 ところが、黒澤監督の中では消えてなどいなかったのだ。監督の死後それが分かった。
死後出版された菊島隆三さんの日記の中にそれは書かれていたのだ。恐らく、私がその依頼をして翌日なのではないかと思われるが、監督は菊島さんに
「オイ、次回作が決まったよ!『風の又三郎』だ」と話されているのである。

 そうだったのだ、あの日から監督の頭の中ではもう次回作のイメージが駆け巡っていたのだ。どうして、私は「老人の思い出話」だからといって辞めようとしたのか。貧弱な創造力で小賢しくも興業成績などを第一に考えようとしたのか。そんなことではなく、黒澤さんの作品が作られることを幸せなこととして承諾していただいたことを無条件で受止めるべきだったのだ。会長にこれほど名誉なことはないと推薦すべきであったのだ。全ては後の祭りであった。後に悔やんでも悔やみ切れない後悔が残った。

 ほんとに、できることなら私はあそこから自分の人生をやり直してみたいと思っている。

実は、監督の執念を感じるような出来事がそれから続くことになった。 『風の又三郎』」は、以後私を執拗に追いかけているのだ。

 
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# by project_oij | 2006-08-10 15:18

よってたかって

 昨夜の亀田興毅とランダエタとの一戦が大騒ぎになっている。今朝はスポーツ紙だけでなく一般紙も相当のスペースを割いて「疑惑の判定」に異議を唱えている。4万件近くの抗議の電話が放映したTBSに寄せられたそうだ。
 明らかに負けているのに、勝ちと判定する。ホームタウンディシジョンという”えこひいき”を前提に考えても負けている。それほどひどい判定であった。
 商売を考えると無理にでも勝たなければならない、というシナリオがあって、その役柄を19歳の少年が精一杯期待に応えようとしているという姿があった。
 ひどい試合であっても視聴率は40%を越えていたそうだから、関係者はほくそえんでいるに違いない。要するに金のためならなんでもありなのである。

 ヨーコ・オノの古い作品にこんなのがあった。舞台の中央にオノはイスに腰掛けて座っている。すると観客席から入れ替わり立ち代りお客が登壇し、ハサミでオノの洋服を切り取っていくのである。
 やがて洋服は穴だらけになり、手で隠しようがなくなったところでそのパフォーマンス
は終わる。オノの参加芸術性や諧謔性が発揮された秀作であったと思う。
 ハサミを入れる観客は、切り取るのはほんの少しという意識だから、半分ふざけた気分でよってたかって切り取っていく。なんのためらいもなく美味しいところを毟り取って、食い尽くすうちにとんでもない状態を作り出してしまう人間の残酷さ。そんな寓意の込められた作品であった。
 人間の恐さをオノは見抜いていたに違いない。

 亀田興毅のイメージは、メディア、コンビニ、ファッションメーカー、メガネメーカーなど様々な企業に毟り取られていく。それらの企業は”死肉”ではなく粋のいい”生肉”に群がっているのである。
 しかしその生肉が少しでも硬くなったら、即座に捨てられることになるだろう。今、亀田は柔らかい生肉のままでなければなければならなかった。まだ群がっている大人たちは毟り足りないのである。そこに今回の疑惑の判定が生まれる原因があったように思う。

 ちょっと美味しく見えるとよってたかって食べ尽くす。経済合理主義のもとに、日本はあらゆるところでこんな悲劇が起きているに違いない。
 
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# by project_oij | 2006-08-03 15:46

最初のレポート

 大学に入って間もなく、教育学の時間だと思うが、「現在の日本の教育問題について」というテーマでレポートの提出が求められた。それが大学で最初に提出したレポートだった。
 何を書いていいのか全くわからず、小学生の時の体験を書いた。私は、小学校の時珍しい体験をしていた。

 何故なのか、よくわからないが、田舎の私の小学校では、普通児童と学力の劣っている児童と一緒になっている特別クラスが4、5,6年に1クラスだけ設けられていた。そのクラスでは、一人の普通児童が二人の劣っている児童を家庭教師のように週のうち何回か教える時間があった。私もその教える一人で、4年から6年生まで3年間そのクラスにいた。そのクラスでは6年生で、一桁の足し算などを教えたりしていた。

 その授業にどういう意味があったのか、よくわからないが、その時教えられる児童の家庭が
大変貧しかったことが印象に残っている。時代的にはまだ戦後も10年経ったばかりで、みんな貧しかったのだが、特に彼らの家庭はひどかったように思う。畑仕事を手伝わなければならず、学校を休む者もいた。衣服は着たきりでぼろぼろの子が多かった。

 学力の低さと貧困との因果関係をストレートにいうことは出来ないだろうが、私にとっては、それが現実の体験であった。
 今考えてみれば、レポートを提出した年は、東京オリンピックの昭和39年で、まさに日本の高度経済成長の時期にあたり、そんなことはもはや日本においては「現在の教育問題」などではなかったに違いない。もらった評価は「良」であった。

 私は、今そのクラスにいたことをに感謝している。小学校の高学年の時期に、「思いやる」「助ける」「役割をつくす」などといったことを、担任の教師から叩き込まれたからである。当り前のことをやらないと頬に平手が飛んできた。
 若い小学校の教師たちが理想に燃えてそんなクラスを作って実験をしていたのであろう。問題点も多かったと思うが、教師たちの熱い思いが伝わってきて、子供なりに必死で応えようとした。

 先日テレビで見た小学校6年のクラスでは、叱る先生に「ウザッたい!」といって教室を出て行く子供がいた。その子供に先生は何も言わないのである。
 今は親も先生も社会も寄ったかって子供をダメにしていく。こんな時代がかつてあったのだろうか。しかも当事者としての罪悪感などほとんどなくヘラヘラしながら事態は悪化していく。恐ろしい時代である。
 
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# by project_oij | 2006-07-31 12:11

チャップリンの言葉

 NHK・BSでチャップリンのドキュメンタリー番組を見た。無声映画当時のNGフィルムや撮影中の演出振りが撮られた貴重な映像で構成されていた。
 実に細やかな演出、ベストカットを求めて何度も何度もNGを出す。繰り返すうちに最初の設定がすっかり変わっていくこともあるスゴミのある即興の創作性を見ることが出来た。

 見ているうちに学生時代に読んだ「チャップリン自伝」を思い浮かべていた。作品が完成するたびに、そのイメージを打ち消すため仕事を離れ何日も何日も遊びに没頭しなければならなかった、というような内容だったと思う。終わってしまった自己のイメージをものすごいエネルギーで否定する。その凄まじさに驚嘆したのだが、今回の撮影振りを見て、納得できたように思う。

 チャップリンは「悲劇には、何か美しさを感じる」と言ったそうだ。
 喜劇王チャップリンが、悲劇に何故美しさを感じるのか。
 喜劇は論理的に作られていく。予想を越えて何度も何度も「失敗」や「暴力」のシーンが積み重ねられておかしさが倍加していく。喜劇はそういう意味で知的な営為であるように思う。「理」の世界である。
 それに比べて、悲劇は、多くの場合、ひたすら相手のことを思いやるが、それが達成されないことによって発生する。「情」の世界である。己を虚しくして相手のことを思いやる。達成されないかもしれないが、何の報酬を求めることなく相手につくす。こんな愛情のあふれた姿に美しさを感じる、ということではないか。

 先日沖縄に出張した折、機内誌を読んでいたら、フランスの女性カメラマンの作品展が紹介されていた。彼女は、盲目の方たちに「あなたにとって美しさと何か」と問いかけ、見えない人が応えた内容を当人に代わって撮影し、コメントと共にそれを当人の顔と並べて展示したようだ。
 紹介されていた作品は、「私にとって美しさとは息子である」と応えた父親とその息子の写真であった。愛情の結晶こそ美である、とこの父親もチャップリンと同じことを語っているように思う。

 愛情によって生まれる美。物騒な世間のニュ―スは、そんな美はもはや喪失した、と警鐘を鳴らしている。

 
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# by project_oij | 2006-07-24 17:08

中田英寿の引退

 昨日、突然中田英寿が引退宣言をした。予想もしない行動に、周囲の人たちを驚かせた。しかし、今日になると、「中田らしい引退の仕方である」「美しい引き際である」という意見が大勢を占め、彼の功績を称え、世界のビッグプレーヤーを集めた華やかな引退試合などを開催するなどのニュースが流れている。
 かつてのチームメイトの談話を聞いていると、「正論を吐くが、言い方に難があって、みんなの理解が得られなかった」という話が一番多かったように思う。要するに「スゴイ奴だが、イヤな奴」というタイプのようだ。

 テレビでの発言を聞いていても、「サッカーは走らないと勝てません」と身もふたもない言い方をして、日本チームの敗戦を批判してみせる。冷静で正確な批評に誰も文句は言えないが、”そうは言ってもよくがんばったんじゃないの”などと言いたい心情派にとっては、なんともやりにくい相手に違いない。
 そんな彼が、日本代表として勝てなかった「責任」を感じて辞めると言う。責任を取れといってもどこかの日銀のトップのようにまるでその気のない御仁が多いこの時代に、なんという潔さ。空々しくただ頭を下げるカタチばかりの責任の取り方(?)しか見ていない我々にとっては、溜飲の下がる思いのする引退宣言である。やっぱり日本人はハラキリを連想させるようなスパっとした責任の取り方を好きであるということだろうか。
 そうなのだろうか? この責任の取り方はそういうことなのだろうか?

 私が彼に感じるのは、今までのスポーツヒーローと全く違って「よく自らを語るヒト」という点である。
 恐らく寡黙でいて中田のようなタイプであれば、それほどファンは多くなかったに違いない。テレビなどで語る内容は、一見冷静そのものに見える「イヤな」ところはあるが、実は本音において「アツい」心情にあふれていることがブログなどを読むとよく解る。そこにみんなしびれる。賢さを感じる。(ただ、ブログの文章は彼自身が書いていないのでは? きれい過ぎて妙に皮膚感覚のしない文章である。誰か文書の得意なヒトの代筆でしょうな)
 
 このスポーツヒーローは、少し大げさにいうと、「近代的な市民」、独立した個人の価値観で出処進退を決めることの出来る民主主義の申し子なのかもしれない。戦後間もなし、GHQの誰かが日本は民主主義という点からすると「赤子」であるというようなことを言っているが、そういう意味で日本人が60年を経てやっと成人になったということか。青年のころからずっとヨーロッパで受けた「市民教育」の賜物かも知れない。
 彼の責任の取り方には悲壮感がない。日本代表としてその義務を果たしえなかった市民が、契約不履行で、その責任を取って選手としては引退するという、そんなドライさをどこか感じる。そういう価値観を彼が持っているということではないか。
 その姿は確かにカッコはいいが、しかしどこか、日本人が持っている「責任」という言葉に対する重さを感じない。。妙に軽い。引退という事実は重いが、その因果関係をつないでいるものが軽い。どうでもいいことかもしれないが、これは進んだ(?)「近代人」に対する私の違和感なのかもしれない。
 
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# by project_oij | 2006-07-05 19:20

夏祭り

 オフィスのある千代田区三番町は、つい先日夏祭りで賑わった。
お囃子を聞いているうち、友人でゲームプランナーの広井王子さんの話を思い出した。
 彼は、生粋の浅草っ子であるが、子供のころお祖母さんからよくこんな話を聞かされたそうだ。
「お前は、絶対にサラリーマンになってはいけないよ」
「どうして?」
「あの人たちは、町を壊す人だからさ」
「どうして町を壊す人なの?」
「あの人たちはね、朝来て夜帰っていくだろう、町のことなんか、ちっとも考えていない人たちなんだよ」
「ふーん」
「サラリーマンが来るようになってから、もともとここに住んでいた人たちがいられなくなってね。
祭りに参加する人も減ったもんさ」

 広井氏は、お祖母さんの教えをしっかり守って(?)、フリーのプランナーからいきなり社長になり、今は会長である。ずっと浅草に住んでいる。
 三社祭などを見ていると参加者が減っているようには見えないが、確かに大きなビルが中心の町になってしまっているので、昔はもっと賑わっていたのかもしれない。

 私は東京郊外のマンションに住んで、朝三番町に行き、夜帰ってくるので、”町を壊す”人なのに違いない。
 もうそこに住んで20年以上になるが、隣近所は時々引越しするので、現在どんな人が住んでいるのかよくわからない。
 最近は、年老いた人がよく引っ越してこられる。子供が年老いた親を呼び寄せているのだろう。
 しかし、悲しい話だが、その老人たちは、うれしそうに引っ越しては来るが、みるみる老け込んで、しばらくすると亡くなってしまう。
 田舎でのんびり広広としたところで住んでいた人が、急に小さな箱のような建物に放り込まれ、絶えることのない騒音の中で生活をしていると、考えられないようなストレスが溜まっていくのに違いない。
 周囲に緑も少なく、同じぐらいの年齢をした話相手がいないこともストレスの原因になるのだろう。
皮肉なことに、”町を壊す人”は”人を壊す町”に住んでいるのである。
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# by project_oij | 2006-06-23 18:33

思い出づくり

 携帯電話で簡単に写真が写せる、素人でもハイビジョン撮影ができるからなのか、近頃はいつでもどこでも至るところで撮影がされている。
 いつかテレビで見たが、幼稚園の運動会の前夜など、撮影の場所とりで徹夜の親が出るのだとか。映像による“思い出づくり”には大変な労力を費やしておられるようだ。
 しかし、ほんとに「思い出」を作っているのだろうか。
 
 デジカメは2ヶ月、携帯電話は1ヶ月、車は8ヶ月で値崩れするそうだ。だから、キャノンは売り出し段階でどれだけたくさん売り切るかに社運を賭けているし、携帯などは1ヶ月を過ぎるとたちまち10分の1まで値下がりするというから、それこそ新機種売り出し時期に社の命運をかける。
 スピードが全て。買う方も、買わせる方も、新機種に血眼になる。新しさへの欲求をベースにした循環経済である。

 現代はいつも「現在づくり」である。資本主義というものは、「現在」今の消費衝動を演出することで成立している。マクドナルドの食べたい時が食べる時ではないが、買いたい時が買う時なのである。
 テレビは、今を楽しみ夢中にさせることに懸命である。刺激と興奮で毎日が過ぎていく。
 「思い出」などを振返る閑などないのである。膨大な量の写真を、昔のようにしみじみ見直しながらアルバムを作っている人などどれくらいいるのだろうか。
 「思い出づくりをしたい」という「現在」がすぎていく。そんな現在はただの現在。薄っぺらな現代。過去のない現在である。瞬間的な時間しか存在しない生き方に、現代人はどこか不安感があり、無意識の内に人々を「思い出づくり」という過去願望に走らせているのかもしれない。

 今、若い諸君は、「物語」を語ることが苦手なようだ。「思い出を語ってください」なんていうと、「別にありません」などといった返事が返ってくる。過去を忘却しているのである。そのように生きているのである。
 子供のような大人たちとは、思い出を持たないように育ってしまった大人ということかもしれない。
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# by project_oij | 2006-06-06 11:46


横山征次がOIJの理想をめぐる日々の想いを綴ります
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