泥魚亭好日記 〈美しさを楽しみ夢を育てる〉



伝えると伝わる

 T大学の春季講座が終了した。いつもは秋季講座としてやってきたが、キャリア関係の講座なので受講生(3学年)たちの就職準備のことを考えて今年から春季講座に変えてもらっった。
そのせいか、例年ほどの切迫感がなかった。バブル期以来の売り手市場になったせいもあるのかもしれない。

 毎回講義終了時にその時間の感想文を書いてもらっている。自分ではなるべく分かりやすく、面白く話しているつもりだが、正直伝わっていることが実に少ない。誤解もある。
 総じて全体として何を言っているのか、理解しようとしている学生がほんとに少ない。講義の始めに、その日のネライを話すのだが、それが頭に入っていない。ちょっと自分で気になったことが頭に残っているだけである。どう聞いてもらってもいいのだから、それはそれでいいのかもしれないが、ただ今年は感想文が去年などに比べると短いものが圧倒的に多い。
 興味のあることが少なく、興味のないものは、聞く側から忘れていってるのかもしれない。

 経済産業省のおっしゃる「傾聴力」が不足しているのだろうか。いや、そもそも傾聴する気がないように思う。一応私語もなく私のほうを見ているので、聞いてくれているつもりでいたが、そうとばかりは言えないようだ。
 私の講義は「傾聴に値しない講義」ということかもしれない。

 伝わる講義とはどんな講義なのか? 恐らく「傾聴」するのではなく「参加創造」する講義
ではないか。
 伝えようと押付けても、そこに全面的に受け入れる構えがなければ伝わらない。全面的に受け入れるとは、自らが伝わる内容に参加して、伝わる内容を共に創造することなのではないか。
教える形を変えない限り、一方的な伝え方では、伝わる講義は完成しないに違いない。
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# by project_oij | 2007-07-17 16:26

リスクを負う生き方

 エネルギービジネスプロデューサー講座が終了した。料金、開催時期、テーマ設定いろいろ問題点があったようで、毎回平均10人そこそこの受講者に終わってしまった。
 お忙しいなか、ご協力いただいた講師の方々には事務局の努力不足を陳謝したい。

 最後は京都大学公共政策大学院大学佐伯英隆特別教授にまとめの講義をお願いした。その中で、佐伯先生は、最近の日本人の行動原理にある「リスクを負いたくないから前向きなコトを何もしない」傾向に警鐘を鳴らしておられた。
 ホンノ数十年まで、日本人はどんな危険な場所であっても、企業戦士としてどんどん出かけていった。それが現在は”危険な匂い”がするところには誰も近寄らない。もしも危険な目に会うと、外務省からは「自己責任でやれ」と怒られるし、会社からは何故そんなリスクを負うことをした、会社に迷惑をかけたと処分される。
 その結果、例えば中国は軍隊を派遣してまでアフリカ中部の油田の確保を目指すが、その重要な地に日本人が一人もいないという状況が生れている。
 今の日本は、敵がいもしないのにむやみに恐れ、背の針を逆立てたまま丸まって死んだ振りをしているハリネズミのごとくである。

 日本人は何にそれほど恐れを抱いているのか。コンプライアンスなどという言葉によって脅迫観念が生れているのか。それとも固定化しつつある格差社会に希望を失ってしまっているのか。
大正時代芥川竜之介は、「漠然とした未来への不安」から自殺をしたといわれている。現代は毎年のように3万人を越える日本人が「未来への希望をなくして」自殺する。確かもう8年以上もこの状態が続いているらしいので、既に広島原爆の死傷者の数を上回る数の方々が自殺をしたことになる。友人の話によると日本の職場にうつ病の方が増えているそうだ。自殺予備軍の出現である。異常な時代である。

 芥川竜之介の不安は的中し、昭和に入ると恐ろしい軍国主義の国家が出現した。現代の絶望の先には、何が待っているのだろうか。欲望礼賛と利己主義と敗者切り捨ての民主主義に絶望し、自由などいらないから牽引してもらえる強いリーダーが待望され、誰もが予想もしなかった全体主義国家が出現するのかもしれない。
 
 目立つものはたたかれる。ホリエモン実刑の効果は、チャレンジする若者に冷水を浴びせ掛けることになった。国策として、法の隙間を縫って利益至上主義に生きる人間をつぶした。
 純法律的にはともかく、法律に違反したとして厳しい裁定を受けた。巨大な金額をごまかした日興コーディアル証券がお咎めなしで、それと比べると微罪であるホリエモンが極悪人のように裁かれる。ここには、国家としてどのような「正義」を主張しているのか、よくわからない。

 だからやはり、ハリネズミになるしかないのだ。目立たぬように、文句をいわずに、仕事にいそしむしかないのだ。国が勢いをなくするとは、こういう状態を指すのだろう。

 「愛と少しのお金とちょとだけ勇気をもって」(チャップリン)前進する、そんな前向きな、リスクを恐れない仲間を出来るだけたくさん集めて、諦めずにこの閉塞状況を破っていきたい。
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# by project_oij | 2007-03-28 14:24

船場

 プロジェクトOIJにとって、「船場復興」が最初の本格的な「地域活性化」事業になってきそうだ。
 様々な出会いでいつの間にか背中を押されることになって、気付いてみれば先頭を走っていたというようになっていくのではないか、というような気がしている。
 もしそういうことになれば、名誉なことであり、全力で取り組みたいと思っている。

 先日「せんば元気の会」の幹部の方とお会いした。そのうちの1人が、もう「フォーラム」は飽きた。実行する具体案が欲しかったとおっしゃった。OIJのプランにご賛同をいただいたようだった。
 今後は、その完成像を共有し、実現に向けて発見し創造し達成する、ということである。それが実現できるためにはその一つ一つのステップにおいて思惑を超える感動がなければならない。それこそが完成に向かわせる強いエネルギーである。
 完成像が曖昧であったり、ホンモノの発見や創造がなかったりすれば、その時点でこうしたプロジェクトは頓挫する。基本的にボランティア精神によって支えられているため、個人的な”熱さ”なくして継続はないからである。
 誤解を恐れずに言うと、夢を見せつづけることが、我々には求められているということなのである。

 夢を共有しながら復興を成し遂げることができるなら、地元にあって長い間悔しい思いをしてきた方たちに報いることができる。その過程と結果こそが「生きていることの楽しさ」である。このようなことは、求めても求められるものではなく、誰にとっても貴重な経験になるに違いない。
 できるだけ多くの方たち、特に若者に参加を促していきたいと思う。
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# by project_oij | 2007-03-01 10:58

不二屋

 またぞろ食品会社で消費期限、賞味期限切れの原材料を使った商品作りが発覚し、社会問題になっている。
 ぺコちゃんのキャラクターで有名な不二屋である。子供のころからミルキーという甘いお菓子には随分お世話になっただけに、なんとも切ない事件である。

 不二屋は、何故「不二」屋なのだろうか。創立者が「藤」井さんという方だから、そこから来ているのだろうか。それとも創業した二人の志は一つであったという思いを込めたものなのだろうか。会社の沿革に記載がないためよくわからない。

 「不二」は達磨さんが達観した禅の真理である。二つに見える物事も、それは一つのことの裏表であって、基本的には一つなのだといっている。

 不二家は「儲ける」目的のために「ごまかす」という手段をとった。「儲ける」という目的のためには「美味しい商品」という手段が来なくてはならないが、「ごまかす」という手段をとった。
 目的と手段は二つの事に見えるが、目的は手段を、手段は目的を拘束する。二つのことをひとつのことのように考える。二つを全く別のこととして考えるところに生き方の弛緩が生れ、崩壊が生れる。二項対立的な考え方は正しくない、と達磨さんは言っているのである。

 「正義」のために「人を殺す」。しかし「人を殺す」ことによって得られる「正義」とは何なのか。誰かが「戦争に正義などと言うものはない」と言い切っているが、二元的な考えそのものに矛盾が生れるのである。
 国家が使い分けるダブルスタンダードは、「自国」と「他国」を対立的に捉えるところから始まる。アメリカが核兵器を持つのは平和のためだが、北朝鮮が持つのは戦争のためであるとかである。
「国益」を得ると言う目的の前に、他国の国益も同時に考えるとか、その国益が自国の一部のものになっていないとか、目的と同時に手段の正当性もよくよく吟味することがが必要である。

 達磨さんは「自他不二」の考え方を説く。自他が認め合う、許しあう。二つが「落ち着く」調和を求めて生きていくことの重要性を訴えているのである。
 二つが一つになろうとするベクトル(運動)の中に一つになったイメージが生まれて来る。そのイメージのデザインに向かって努力をする先に、限りなく一つになった二つがある、ということではないか。

 プロジェクトOIJは、「大学再生」と「地域活性化」という二つの目的を持っているが、言うまでもなくこの二つの目的を一つの事として運動をすすめるところに、成功が見えてくると考えている。
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# by project_oij | 2007-01-16 11:03

18年周期

 年が明けてもう4日。5日は大阪で、6日は去年に続いて伝統食品研究会の先生方主催のスタディーツアーで京都に行く。丹波篠山の黒豆の研究会で、地元の方から薀蓄をお聞きした後、黒豆料理と牡丹鍋(猪ナベ)に舌鼓を打つという寸法である。

 先生方のお話も楽しく、自分達だけでお聞きしているのはもったいないので、今年はOIJ四国支部の協力で年4回くらい『お母さんの食育レストラン』というイベントを催す予定を立てている。
 地産地消の運動に協力すると共に、お母さん方に、子供達を豊かな味覚を持った人間に育てていただきたくこのプログラムを実施することにした。
 
 日本の食の世界は今大変”貧しい”状態にあると思う。どのチャンネルをひねっても食い物番組ばっかり。タレント達は味を聞かれると「うまい、甘い、柔らかい」としか言わない。旨味とは、酸っぱみも、苦味も、硬さも,香りも含まれて生まれているものであるが、正常な味覚が失われているせいか、そんな貧しい表現しか出来ない。

 グルメとは、確か「大食」を意味したと思うが、日本人は総じて大食漢の餓鬼になってしまった。この現状は、日本の伝統的な食文化とあまりにかけ離れてしまっているのではないか。

 ところで今年は2007年。新年に当たって、何となく社会に出てからの時間を考えていたら、学研のサラリーマン時代が1969年から87年までの18年間、フリーになって、88年に横山事務所を立上げ、デジタル・トウキョーを立上げて、去年06年までが18年間である。偶然だろうが、これからのNPO法人プロジェクトOIJの活動が18年間になるということだろうか?

 まさかそんなに長生きできるわけはないだろうが、人生を序・破・急の3部構成と考えれば、「急」の期間は18年の半分の9年くらいはあるだろうから(と勝手に解釈して)、OIJを結成した時若いメンバーに約束した通り10年近くは基盤作りに貢献できるのではないか。

 もし、18年間も長生きできれば儲けものだが、今から18年経てば2025年で、この年は、日本近代80年周期説を唱えているOIJ大阪支部長の挽地さんによれば、85年から下降し始めた日本の後退の最下降の年に当たる。ちなみに80年前は1945年で、日本敗戦の年である。そのさらに80年前は1865年(慶応元年)で明治維新直前に当たる。
 挽地さんの説が正しければ、わが人生は最下点から始まり、最頂点を人生半ばで折り返し、最下点で終わることになる。

 三度目の日本の最下点がどんなになっているか、少し見たい気もするが、OIJ運動は、その最下点を少しでも早く終わらせて、日本に上昇の気運を起こそうとしているわけだから、いい意味で、挽地さんの周期説が外れるように努力したい。
 いやそうではなく、落ち続ける2025年までにしっかり人材育成をして、落ち切った時、上昇の核となる人材を育てる、ということなんでしょうね。

 みなさん、私はがんばりますよ!
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# by project_oij | 2007-01-04 12:25

いじめ問題

 いじめ問題は、多くの自殺者を出し、もはや国家的な大問題として連日マスコミをにぎわしている。
 ともかくも自殺の連鎖を食い止めることが急がれ、そのための”対処療法”ばかりが目出っている。止むを得ないとはいえ、根源的な問題に迫る論調が少ないのが気になる。

 70年代に入ってだと思うが、「無責任・無関心・無気力」な若者が多くなったと社会問題になった。「あっしには関わりのねえことでござんす」という木枯し紋次郎がブームを巻き起こしたのもこのころである。
 80年代になると”軽チャ-文化”の時代に入って、テレビには笑いがあふれる。その一方で受験戦争で苛立つ子供が親を殴り殺すような事件がおきる。
 90年代に入ると真剣を売り物にする過激なプロレスや弱い者いじめをお笑いにするテレビ番組が視聴率を稼ぐ。事件の方は、神戸児童連続殺傷事件のような陰惨な事件が発生するようになった。
 そして00年代に入ると、親殺し、子殺しが日常的なニュースになってきた。

 ざっと振返っても、30年以上ほっておいてこういう状況を作り出してきたような気がする。日本人が壊れるのに30年かかったなら、再生していくのにも30年かかる。ホントはゼロ歳児からいかに教育をしていくのかが今問われているのだと思う。

 物質文明の持っている”毒”に気付いてはいても、資本主義の宿命的に持っている”もっともっと”の煽動で、個人の欲望は止まることを知らずに肥大化していく。これから中国などでも同じようなことが起きてくるに違いない。

 自由市場主義とは、セフティーネットを外した優勝劣敗の世界であり、「小さな政府」はその責任は自己にあると言い切っているのである。弱い者は見捨てられていく。

 孤立することは恐い。そんな恐怖感があり、日本の”多数派民主主義”の社会の中では、ともかく多数派にいたいと思い、多数派であることを、そこに属していることを証明するために、”はぐれ者”をいじめる。そこで落ちこぼれたものは、その抑圧をより落ちこぼれたものに移譲する。
 何もこれは子供社会のことだけではない。
 陰惨な事件はかくして”辺境”で多発することとなる。

 いじめの原因は、この社会がいや応なく抱え込んでしまっている根源的な問題である。誰もがその当事者である。そう自覚して自分は何をするべきかを考えるべきである。
 中でも日常において”最大の教育機関”であるTVの責任は大きい。視聴率至上主義によってどれだけの害悪を流しているか。もっともらしくメディアリテラシーの運動をしているなどという言い訳をせずに、リテラシーを育成する誇らしき番組を作って欲しいと思う。

 少なくも自分達の作っている番組内容の意味を問い直すべきである。
お笑い番組の持っている恐ろしさに気付くべきである。
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# by project_oij | 2006-12-23 18:25

本社流出

 大阪で話をしていると、大阪停滞の原因として、本社機能がことごとく東京に移転したためであるという話になる。そして、仕方がないね、と溜息の一つもついて議論は停止してしまう。
 つい先日も、繊維業界の大御所と話していて、そんな結論になっていった。大御所は苦々しげに「企画関係の”頭”が東京に行ってしもうて、大阪は考えておりまへんのや。作業だけやっておりますのや」とおっしゃった。

 本社が東京に移転するとは、そういうことなのだろうが、ただ東京で”頭”のある人たちと多く接している自分としては、そんなに優秀な”頭”が東京にあるとはとても思えない。
 むしろ、ルーティーンな、考えない仕事を処理している人ばかりが目立つ。リスクのあることはできるだけ避けたい、確実に利益をあげたい、だから成功した過去のデーターに依存する、権威のある会社の分析に頼る。最初から言い訳の立つように仕事を組立てる。内向きに仕事を考える輩が圧倒的に多いのである。

 確かに本社機能が移転することは大問題で、取り残される方は、物心両面での痛手をこうむることは間違いないだろう。しかしそれで、頭脳まで移転したと考えるのはどうだろうか。

 問題は、流出する”頭脳”の中身にある。東京本社は、アナリストの進言に従って企画を提案し実行計画を立てる。それをただ現場に下ろす、ということをしている場合が多い。かつての陸軍参謀本部と同じであって、現場の感覚を失った「優秀な頭脳」が「正しい」企画と計画を立てるから「成功は間違いない」と考える。間違うのはそれを実行できない現場の力量不足ということになる。かくして東アジアとの”マーケット戦争最前線”にある大阪は精神論で鼓舞されるだけで、力尽き敗れ去っていく……

 かつて官僚のOBの方から、官僚の世界の組織力学を聞いたことがあるが、陸軍参謀本部とよく似ている。企画は立てるが、実行は現場に預け、指導しかしない。官僚の無謬神話もこの構造から生れているように思う。現場に手を染めない官僚に間違うことはほとんどあり得ないのである。
 もちろん、そのような官僚ばかりでないことは言うまでもなく、わがプロジェクトOIJのメンバーである若き官僚たちにそんな無責任な人物は一人もいない。

 大阪は、経営の力学で本社機能を東京に移転せざるを得なかったかもしれないが、頭脳だけが移転することで、東京は、養老孟司氏のおっしゃる『バカの壁』に阻まれて現場感覚を無くした唯脳人間を輩出し、結局は生きた企画力を喪失していっているのではないだろうか。
 
 大阪はない物ネダリや、東京への負い目を捨てて、大阪本来の持っている潜在的なエネルギーを見直し、創作力あふれた「新世界」を大胆に作っていく必要があるのではないか。現場にしっかり足をふんばっている大阪であるからこそ、特異なブランドを生み出すことができるはずである。
 私の指導した大学生達は、大阪の”拘束条件”を十分考えてくれたからこそ、たった1年で「おばちゃんチップス」という素敵な商品(1月中旬グリコ販売)を生み出してくれた。
 少し中休みに入っているが、この辺で大阪は目覚める必要があるように思う。それはまた、日本の各地域に自信を与えていくことになるはずである。大阪は今後「地域チャンピオン」という役割を果たす必要があるように思うのである。

 
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# by project_oij | 2006-12-19 19:30

面接

 今年も学生のための面接指導が始まった。
学生達は、最もこれが苦手で、模擬面接であるのに、異常に緊張している。

 かつて、専門学校で面接指導した時のことを思い出した。
ゲームプログラム学科の優秀な学生であったが、、彼はとてつもない“上がり症”で何度面接を受けても通らないので、校長直々に指導して欲しいと頼まれたことがあった。
小太りの見るからに内気そうな青年は、模擬面接をはじめた途端、色黒の顔が耳まで真っ赤になって、ぼそぼそと応えた。
 これでは落ちるのが当り前だと思った。青年は力ない顔をしている。これからも彼は何度も落ちるに違いない。問題はそれによってやる気を失わせないことだ、と思った。

 私は彼に言った。「キミは、きっと受かる。受かるまでボクが面倒見るからだ。落ちるたびに一緒に反省会をして、次の面接に備えよう。今度受ける会社も最後に通るための準備運動と考えて落ちてきたらいいよ。落ちてもいいんだよ」
 そう言って励ました。どこか彼は安堵の表情を浮かべた。しかしそれからも彼は落ち続けた。それでもへこたれなかった。反省会のたびに”上がり症”がなくなっていくのが分かった。
 そして私が指導をはじめて4社目で彼は、めでたく受かった。

 この経験は、私に自信を与えてくれた。「面接は場数が解決してくれる」 という確信を得た。

 私自身の面接体験はあまり参考にならない。新卒で入ったG出版社での面接の成功は、みんなが失敗してくれた賜物(?)であるからだ。
 私は、大学を卒業するのがもったいなくて、5年間大学にいた。もう1年いるつもりであったが、親が許してくれなかった。従ってクラスメイトは、すでに就職していた。その社会人1年先輩がG社にもいて、こんなアドバイスをしてくれた。
「横山、グループディスカッションでは絶対しゃべるなよ。お前はおしゃべりだからダメだ。この会社はみんなおとなしい、寡黙なやつが好きなんだ。去年もディスカッションでほとんどしゃべらない奴が受かっているんだ。絶対しゃべるなよ」

 こう念を押されていたので、絶対しゃべるまいと思って、黒板に書かれた出題をただにらんでいた。黒板には「小学校低学年の娯楽雑誌の夏休み特集号の企画を作ってください」と書いてあった。
 ところが、始まってすぐ、競い合って発言する学生たちは、G社の主力商品である「学習」「科学」が頭にあったのか、「ハイ。ボクは夏休みの絵日記をやったらいいと思います」「ハイ。ワタクシは、昆虫の捕り方特集がいいと思います」などとのたまわっている。

  黒板を見ているうちに、気がついた。みんなは学習の企画をすすめている。出題は「娯楽雑誌」の企画である。遊びである。みんな勘違いしている。
 そこで、禁を破って仕方なく私はこう言った。
「娯楽雑誌だからさ、遊びの特集をしたらいいんじゃない?」
 この発言は、その場にいた学生たちに激震となって伝わった。みんなシマッタ!と思ったに違いない。しばらく空白の時間が流れた。
 仕方なく、また私は「都会の子がみんな田舎に行けるわけじゃないから、どこの団地にもある砂場の遊び特集でいいんじゃない。例えば……」と言った。

 その瞬間受かったと思った。
 
 だから、私の成功はみんなの失敗の賜物なのである。もしも、みんなが出題を理解して遊びの特集をしていたら、多分G社に受かっていなかったに違いない。
 そうしたら、その後の人生も随分違っていたのだろう。それでも、いやその方が良かったのかもしれない。

 だから、学生諸君、面接など、どうってことはないのだよ。
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# by project_oij | 2006-11-21 20:31

「風の又三郎」異聞

 一ヶ月ほど前、金沢工業大学の「実験空間創造学」で、『日本沈没』の樋口真嗣監督と会った。特別講師としてお招きしたのである。
 すると、いきなり「横山さん、あれは違いますよ! 少なくもボクの意識の中ではボクが中止したのではないですよ」とおっしゃる。
 ブログを見てくれていたことにも驚いた(スタッフのどなたかが発見したらしい)が、自分としては、関係者から直接聞いた話だったので、否定されたことに相当驚いたし、樋口監督に迷惑をかけたのではないかと恐れた。

 続いて「“藪の中”ですけどね」とおっしゃる。中止について本当の理由は分からないが、対外的にはそれぞれの立場で、それぞれの人が理由を言っているということのようだ。

 そうとは知らず適当なことを書いてしまって、樋口さんにはいやな思いをさせていしまったようだ。申しわけない。

 いずれにしても、その作品が中止になったことは間違いなく、こうなったら、この縁を無駄にしないよう、“黒澤明教”の第一使徒である映画評論家の西村雄一郎しに相談して、具現化する方策を練りたいと思う。
 西村さんよろしく。
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# by project_oij | 2006-11-06 18:13

初めてのプロデュース

 私は、小学校高学年の時、普通の生徒とは違った経験をしている。

 詳しいことは分からないが、昭和30年前後に高知県の田舎の小学校に、普通児童と何らかの障害などでいわゆる知恵遅れになってしまった児童とが、一緒のクラスで学びあう「特別クラス」が学年に1クラス作られていた。ダウン症の児童も一緒であった。

 当時はベビーブーム前の時代で、終戦末期の昭和19年に“産めよ増やせよ”の号令で生まれてきた”戦争の落とし子”たちである。田舎とはいえ各クラスとも50人余りいて4クラスあった。そんなクラスの外に36人だけの我々のクラスが1クラスあったのである。
 なぜ36人かというと、男女それぞれ6人、合計12人の普通児童がそれぞれ2人づつ遅れた児童24人の勉強の面倒を見るのである。合計で36人。週の何時間か、家庭教師のようにそれぞれの児童の進度に合わせて普通児童が指導をした。
 私はたまたまダウン症の子の担当であったため、教えるのが難しく,6年生になっても1桁の足し算を教えたりした。
 今の時代ではとても考えられないような授業であった。当然普通児童も遅れがちになるので、放課後特別授業(高学年に合った普通の授業)を受けた。

 そんなクラスなので、学年全体で行われる合同体操などに参加することはあまりなかった。
しかし、あれは6年生最後のクラスマッチであったと思う。全クラス参加で、男子はソフトボール、女子はドッジボールの対抗戦が行われることになった。珍しく我々Cクラスも参加することになった。
 その前日、クラス担任は私を放課後残して、「征次、明日は勝て! 全員参加させて勝て」と力を込めて言った。
 無茶な話だった。ソフトボールのルールもおぼつかないような児童も混じっていた。ベストメンバーならともかく、全員参加で勝たせることなど不可能に思えた。
 その夜、5人の仲間と話し合って、勝てる方法を探った。その結果、勝てるかもしれない作戦にたどり着いた。

 ピッチャーの谷脇君(後に高知商業高校の野球部監督として甲子園で有名になった)の球は速く、敵はほとんど打てない。まあまあ守備が上手く打撃もいい選手が外に3人いた。その3人をサードとショートとファーストにおいて 内野ゴロは確実にアウトにする。その外のところに飛んだら諦める。打つ方は、その4人を除いて全員1振りもしない、と決めた。フォアボール作戦である。
 小学生で、ストライクが確実に取れるピッチャーなどそんなにいないはずである。打てる4人の間に”フォアボール担当”をはさんで打順を組み、ランナーをためてドカン! ランナーをためてドカン!と打つという戦法で得点しようと決めた。

 翌日、作戦は図にあたり、日頃バカにされていたわがクラスは、優勝候補といわれていたクラスを圧倒的な差で撃破した。
 勝利の瞬間、「征次よくやった!」といって泣かんばかりに握手を求めてきた担任のI先生の顔が忘れられない。

 あれは、プロデューサーのような仕事を初めてやり遂げた瞬間だったのかもしれない。
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# by project_oij | 2006-11-04 13:04


横山征次がOIJの理想をめぐる日々の想いを綴ります
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