泥魚亭好日記 〈美しさを楽しみ夢を育てる〉



<   2006年 11月 ( 3 )   > この月の画像一覧


面接

 今年も学生のための面接指導が始まった。
学生達は、最もこれが苦手で、模擬面接であるのに、異常に緊張している。

 かつて、専門学校で面接指導した時のことを思い出した。
ゲームプログラム学科の優秀な学生であったが、、彼はとてつもない“上がり症”で何度面接を受けても通らないので、校長直々に指導して欲しいと頼まれたことがあった。
小太りの見るからに内気そうな青年は、模擬面接をはじめた途端、色黒の顔が耳まで真っ赤になって、ぼそぼそと応えた。
 これでは落ちるのが当り前だと思った。青年は力ない顔をしている。これからも彼は何度も落ちるに違いない。問題はそれによってやる気を失わせないことだ、と思った。

 私は彼に言った。「キミは、きっと受かる。受かるまでボクが面倒見るからだ。落ちるたびに一緒に反省会をして、次の面接に備えよう。今度受ける会社も最後に通るための準備運動と考えて落ちてきたらいいよ。落ちてもいいんだよ」
 そう言って励ました。どこか彼は安堵の表情を浮かべた。しかしそれからも彼は落ち続けた。それでもへこたれなかった。反省会のたびに”上がり症”がなくなっていくのが分かった。
 そして私が指導をはじめて4社目で彼は、めでたく受かった。

 この経験は、私に自信を与えてくれた。「面接は場数が解決してくれる」 という確信を得た。

 私自身の面接体験はあまり参考にならない。新卒で入ったG出版社での面接の成功は、みんなが失敗してくれた賜物(?)であるからだ。
 私は、大学を卒業するのがもったいなくて、5年間大学にいた。もう1年いるつもりであったが、親が許してくれなかった。従ってクラスメイトは、すでに就職していた。その社会人1年先輩がG社にもいて、こんなアドバイスをしてくれた。
「横山、グループディスカッションでは絶対しゃべるなよ。お前はおしゃべりだからダメだ。この会社はみんなおとなしい、寡黙なやつが好きなんだ。去年もディスカッションでほとんどしゃべらない奴が受かっているんだ。絶対しゃべるなよ」

 こう念を押されていたので、絶対しゃべるまいと思って、黒板に書かれた出題をただにらんでいた。黒板には「小学校低学年の娯楽雑誌の夏休み特集号の企画を作ってください」と書いてあった。
 ところが、始まってすぐ、競い合って発言する学生たちは、G社の主力商品である「学習」「科学」が頭にあったのか、「ハイ。ボクは夏休みの絵日記をやったらいいと思います」「ハイ。ワタクシは、昆虫の捕り方特集がいいと思います」などとのたまわっている。

  黒板を見ているうちに、気がついた。みんなは学習の企画をすすめている。出題は「娯楽雑誌」の企画である。遊びである。みんな勘違いしている。
 そこで、禁を破って仕方なく私はこう言った。
「娯楽雑誌だからさ、遊びの特集をしたらいいんじゃない?」
 この発言は、その場にいた学生たちに激震となって伝わった。みんなシマッタ!と思ったに違いない。しばらく空白の時間が流れた。
 仕方なく、また私は「都会の子がみんな田舎に行けるわけじゃないから、どこの団地にもある砂場の遊び特集でいいんじゃない。例えば……」と言った。

 その瞬間受かったと思った。
 
 だから、私の成功はみんなの失敗の賜物なのである。もしも、みんなが出題を理解して遊びの特集をしていたら、多分G社に受かっていなかったに違いない。
 そうしたら、その後の人生も随分違っていたのだろう。それでも、いやその方が良かったのかもしれない。

 だから、学生諸君、面接など、どうってことはないのだよ。
[PR]
by project_oij | 2006-11-21 20:31

「風の又三郎」異聞

 一ヶ月ほど前、金沢工業大学の「実験空間創造学」で、『日本沈没』の樋口真嗣監督と会った。特別講師としてお招きしたのである。
 すると、いきなり「横山さん、あれは違いますよ! 少なくもボクの意識の中ではボクが中止したのではないですよ」とおっしゃる。
 ブログを見てくれていたことにも驚いた(スタッフのどなたかが発見したらしい)が、自分としては、関係者から直接聞いた話だったので、否定されたことに相当驚いたし、樋口監督に迷惑をかけたのではないかと恐れた。

 続いて「“藪の中”ですけどね」とおっしゃる。中止について本当の理由は分からないが、対外的にはそれぞれの立場で、それぞれの人が理由を言っているということのようだ。

 そうとは知らず適当なことを書いてしまって、樋口さんにはいやな思いをさせていしまったようだ。申しわけない。

 いずれにしても、その作品が中止になったことは間違いなく、こうなったら、この縁を無駄にしないよう、“黒澤明教”の第一使徒である映画評論家の西村雄一郎しに相談して、具現化する方策を練りたいと思う。
 西村さんよろしく。
[PR]
by project_oij | 2006-11-06 18:13

初めてのプロデュース

 私は、小学校高学年の時、普通の生徒とは違った経験をしている。

 詳しいことは分からないが、昭和30年前後に高知県の田舎の小学校に、普通児童と何らかの障害などでいわゆる知恵遅れになってしまった児童とが、一緒のクラスで学びあう「特別クラス」が学年に1クラス作られていた。ダウン症の児童も一緒であった。

 当時はベビーブーム前の時代で、終戦末期の昭和19年に“産めよ増やせよ”の号令で生まれてきた”戦争の落とし子”たちである。田舎とはいえ各クラスとも50人余りいて4クラスあった。そんなクラスの外に36人だけの我々のクラスが1クラスあったのである。
 なぜ36人かというと、男女それぞれ6人、合計12人の普通児童がそれぞれ2人づつ遅れた児童24人の勉強の面倒を見るのである。合計で36人。週の何時間か、家庭教師のようにそれぞれの児童の進度に合わせて普通児童が指導をした。
 私はたまたまダウン症の子の担当であったため、教えるのが難しく,6年生になっても1桁の足し算を教えたりした。
 今の時代ではとても考えられないような授業であった。当然普通児童も遅れがちになるので、放課後特別授業(高学年に合った普通の授業)を受けた。

 そんなクラスなので、学年全体で行われる合同体操などに参加することはあまりなかった。
しかし、あれは6年生最後のクラスマッチであったと思う。全クラス参加で、男子はソフトボール、女子はドッジボールの対抗戦が行われることになった。珍しく我々Cクラスも参加することになった。
 その前日、クラス担任は私を放課後残して、「征次、明日は勝て! 全員参加させて勝て」と力を込めて言った。
 無茶な話だった。ソフトボールのルールもおぼつかないような児童も混じっていた。ベストメンバーならともかく、全員参加で勝たせることなど不可能に思えた。
 その夜、5人の仲間と話し合って、勝てる方法を探った。その結果、勝てるかもしれない作戦にたどり着いた。

 ピッチャーの谷脇君(後に高知商業高校の野球部監督として甲子園で有名になった)の球は速く、敵はほとんど打てない。まあまあ守備が上手く打撃もいい選手が外に3人いた。その3人をサードとショートとファーストにおいて 内野ゴロは確実にアウトにする。その外のところに飛んだら諦める。打つ方は、その4人を除いて全員1振りもしない、と決めた。フォアボール作戦である。
 小学生で、ストライクが確実に取れるピッチャーなどそんなにいないはずである。打てる4人の間に”フォアボール担当”をはさんで打順を組み、ランナーをためてドカン! ランナーをためてドカン!と打つという戦法で得点しようと決めた。

 翌日、作戦は図にあたり、日頃バカにされていたわがクラスは、優勝候補といわれていたクラスを圧倒的な差で撃破した。
 勝利の瞬間、「征次よくやった!」といって泣かんばかりに握手を求めてきた担任のI先生の顔が忘れられない。

 あれは、プロデューサーのような仕事を初めてやり遂げた瞬間だったのかもしれない。
[PR]
by project_oij | 2006-11-04 13:04


横山征次がOIJの理想をめぐる日々の想いを綴ります
以前の記事
2007年 07月
2007年 03月
2007年 01月
2006年 12月
2006年 11月
2006年 10月
2006年 09月
2006年 08月
2006年 07月
2006年 06月
2006年 05月
2006年 04月
最新のトラックバック
i get carrie..
from i get carried ..
2006 autodata
from 2006 autodata
テラびしょびしょw
from お・な・に・ぃ
cheap sprint..
from cheap sprint p..
ringtones ci..
from ringtones cing..
numa numa ri..
from numa numa ring..
real ringtone
from real ringtone
Fergie Clums..
from Fergie Clumsy ..
darth vader ..
from darth vader ri..
free wav rin..
from free wav ringt..
検索
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧