泥魚亭好日記 〈美しさを楽しみ夢を育てる〉



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公(おおやけ)について

 昨日知人から「公(おおやけ)」について話して欲しいという申し出があった。雑誌の連載テーマにしたいということであった。

 こんなことを話した。

 私は「公」ほど今汚れてしまった概念はないように思う。「公」は田中康夫元長野県知事が言ったような「パブリックサーバント」の世界ではなく、社会現象にもなっているように無責任の体系に守られ不正を行う「私」の”隠れ蓑”になっているのである。
 「公」の私物化、不正が組織的にたいした罪悪感もなく行われ続けているという現実は、何故もたらされてきたのか。

 かつて外務省事務次官は、イラク戦場において孤児の救済活動をし、拉致された女性やジャーナリストに向かって「自己責任論」を説いた。
 機密費の名のもとに「私」の不正使用が指摘された外務省のトップが、外地にいる日本人の保護は「公」としては当然であるにもかかわらず、まるで「公」としての責任を放棄するかのような発言をしたのである。
 この「自己責任論」はマスコミに乗り彼女たちはバッシングを受けた。ノイローゼになるほどのである。それからこの「自己責任論」は大流行していく。

 私はこの「自己責任論」は、結果的に「公」の責任放棄であり、それが常識化されることによって「私」の責任は拡大され、同時に「私」の権利の拡大をもたらしてきたと考えている。

 国策捜査とまで言われながら、検察はホリエモンを起訴した。「検察は正しい」という「公」の価値判断を国民に見せつけかったのであろうが、その検察庁も裏金騒動で慌てふためいた前歴がある。金銭欲という「私」の欲望の最大のものを実現したホリエモンは堂々と「私権」を主張するが、それに対して検察の論理に力強さはない。
 かといってホリエモンの姿を私はとても美しいとは思えない。「私」をかくまでほしいままに解放しておくことが果たして正しいことなのだろうか。

 親殺し、子殺しなどの現代の殺伐とした風景は、「私」欲を煽り立て、肥大化させ、購買意欲をかきたてた結果なのではないか。近代の「私」の解放は、欲望の解放となり、人間性崩壊の危機すらもたらしているのである。

 「公」にも「私」にも抑制の論理が必要である。抑制することが正しいことなのだ、という価値観が必要に思う。
 それを実は日本人はDNAのように持っている。
「おかげさま」「もったいない」「恥ずかしい」「顔向けが出来ない」「まわす」「待つ」
 その言葉に先にあるのは「世間様」である。
 行動(振る舞い)に対して倫理的に美的に絶対的に正しい判断をしてくれるもの。それが世間様である。それは宗教的なまでに日本人が畏れ、正しさを信じて疑わないものである。
 近江商人は言っている。「売り手よし、買い手よし、世間よし」。お客とお店だけでなく、世間まで納得させるものでないと商品とは言わない。継続的な商売は出来ない、してはならないといっているのである。

 世間様の神通力が現在落ちていることは承知しているが、借り物の近代の”衣服”を脱いで、伝統的な日本人の知恵に学んでみることが今ほど必要な時代はないのではないか。日本人の知恵が資本主義をより発展的形態にしていくためにも必要とされているのではあるまいか。
 そんな気がして仕方がない。

 
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by project_oij | 2006-09-06 16:32


横山征次がOIJの理想をめぐる日々の想いを綴ります
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