泥魚亭好日記 〈美しさを楽しみ夢を育てる〉



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続・風の又三郎

 黒澤監督が亡くなられてからどれほどの時間がたってのことだったろうか。多分2年ぐらいは経っていたと思う。
 大学からの講演の依頼で樋口真嗣監督(今『日本沈没』で評判)のオフィスを訪ねた時のことだった。ドアを開けると正面にどこかで見たタッチの絵がかかっていた。それは、学帽をかぶり学生服を着た少年が身体をくねらせ飛翔しているような水彩画であった。私は見た瞬間に何故か、「これは風の又三郎だ!」と確信していた。
 樋口監督と会うと、早速「あれは誰の絵ですか?」と聞いた。「黒澤監督です」と樋口監督。
 「どうして黒澤さんの絵があそこに?」
 「今黒澤監督脚本の『翔べ!』という作品を僕が作っているからです」
 「そうですか、風の又三郎のシナリオは出来ていたんですね」
 「え?横山さん今何とおっしゃったんですか?」
 「風の又三郎。違うんですか、そのシナリオ?」
 「宮沢賢治の?」
 「ええ。実は・・・・・」
 それからしばらく、私は学研当時黒澤さんに「風の又三郎」の映画化を頼み、中断したいきさつを話した。あの絵は、多分主人公のイメージカットに違いないと伝えた。
 じっと聞いていた樋口監督は、「うーん……」とうなってから
 「何故横山さんは早く僕にそのことを話してくれなかったんですか」
と、半ば詰問するような調子で話された。
 「あのシナリオには、そんな背景があったんですか。全々知りませんでした。だから黒澤さんの意図が読み取れないまま作ってきたんです。言われてみると風の又三郎ですよね。もう8割完成しているんですが、それを聞いたら、このままでは完成出来ないな、困っちゃうなあ・・…」
といって、溜息をつかれた。
 なんということだろうか。黒澤さんはシナリオまで書かれていたのである。
 それをなんと特技監督の樋口監督が作っていたとは!

 それから、また数年を経て、「黒澤プロ」のTプロデューサーから別件で出版の相談を受けた。
その時、何となくまた風の又三郎の話になった。Tさんは当時は黒澤プロに属してはいなかったのでその話はご存知なかったからだ。
 樋口さんのことを話し終わった時のことであった。突然Tさんは「横山さんだったのですか!」というではないか。
 「樋口さんは結局完成をさせなかったんですよ。急にこれ以上製作ないと言い出して。原因が良くわからなかったんですが、今分かりました。横山さんが原因を作っていたんだ。たしか2億円が飛びましたよ」

 まさか樋口さんの作品が中断をしていようとは! あまりの驚きで一瞬言葉を失ってしまっていた。
 黒澤さんの完成の思いは、まだ終わってはいないのである。
 
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by project_oij | 2006-08-31 17:50

風の又三郎

 人生をもう一度やり直すとしたら、何時から、何処からやり直したい?
その質問にあなたならどう答えるのだろうか。私には、明確にやり直したいその時と場面がある。

 1984年のことである。私は黒澤明監督の『乱』の衣装を中心に『黒澤映画の美術』という写真集を作っていた。その関係で時々撮影中の監督を尋ねたり、御殿場の別荘にお邪魔をしていた。
 そんなある日、当時勤めていた学研の古岡秀人会長から呼び出しを受けた。
 「キミは黒澤明監督と親しくさせていただいているようだが、監督に頼んで欲しいことがある。次回作に宮沢賢治の『風の又三郎』を撮ってくれるように頼んでもらえまいか。制作費は学研が出す」ということであった。
 まだ『乱』の撮影中であり、次回作の相談ができるのか不安であったが、食事にお誘いを受けた時思い切ってその話を切り出した。どうすればOKをしてくれるのか、考えた末に”殺し文句”を思いついていた。
 「監督、日本の子供たちが映画を監督の作品から見始めるというのはステキだと思いませんか?」
 監督は満更でもない表情を思い浮かべた。シメタ!と思って、間髪をいれず会長の意向を伝えた。すると即座に返事が返ってきた。
 「でも、僕が撮ると老人の思い出話になるよ」とおっしゃったのだ。
 意外な返事に、正直言って”これは困った”と思った。老人の思い出話になると会長が恐らく狙っているだろう、文部省特選をいただいて全国にいる販売員”学研のおばちゃん”に前売り券を売ってもらえなくなってしまうのではないか。
 小賢しくもそんなことを考えて、会長に伝えた。詳しくは憶えていないが、報告の仕方も大分トーンが落ちていたに違いない。「そうか……、難しいな……」と会長も迷われ、この話は消えていった、と思っていた。
 当時監督のマネージメントをしていた息子さんの黒澤久雄さんに会長の意向をありていに伝えていたからだ。
 ところが、黒澤監督の中では消えてなどいなかったのだ。監督の死後それが分かった。
死後出版された菊島隆三さんの日記の中にそれは書かれていたのだ。恐らく、私がその依頼をして翌日なのではないかと思われるが、監督は菊島さんに
「オイ、次回作が決まったよ!『風の又三郎』だ」と話されているのである。

 そうだったのだ、あの日から監督の頭の中ではもう次回作のイメージが駆け巡っていたのだ。どうして、私は「老人の思い出話」だからといって辞めようとしたのか。貧弱な創造力で小賢しくも興業成績などを第一に考えようとしたのか。そんなことではなく、黒澤さんの作品が作られることを幸せなこととして承諾していただいたことを無条件で受止めるべきだったのだ。会長にこれほど名誉なことはないと推薦すべきであったのだ。全ては後の祭りであった。後に悔やんでも悔やみ切れない後悔が残った。

 ほんとに、できることなら私はあそこから自分の人生をやり直してみたいと思っている。

実は、監督の執念を感じるような出来事がそれから続くことになった。 『風の又三郎』」は、以後私を執拗に追いかけているのだ。

 
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by project_oij | 2006-08-10 15:18

よってたかって

 昨夜の亀田興毅とランダエタとの一戦が大騒ぎになっている。今朝はスポーツ紙だけでなく一般紙も相当のスペースを割いて「疑惑の判定」に異議を唱えている。4万件近くの抗議の電話が放映したTBSに寄せられたそうだ。
 明らかに負けているのに、勝ちと判定する。ホームタウンディシジョンという”えこひいき”を前提に考えても負けている。それほどひどい判定であった。
 商売を考えると無理にでも勝たなければならない、というシナリオがあって、その役柄を19歳の少年が精一杯期待に応えようとしているという姿があった。
 ひどい試合であっても視聴率は40%を越えていたそうだから、関係者はほくそえんでいるに違いない。要するに金のためならなんでもありなのである。

 ヨーコ・オノの古い作品にこんなのがあった。舞台の中央にオノはイスに腰掛けて座っている。すると観客席から入れ替わり立ち代りお客が登壇し、ハサミでオノの洋服を切り取っていくのである。
 やがて洋服は穴だらけになり、手で隠しようがなくなったところでそのパフォーマンス
は終わる。オノの参加芸術性や諧謔性が発揮された秀作であったと思う。
 ハサミを入れる観客は、切り取るのはほんの少しという意識だから、半分ふざけた気分でよってたかって切り取っていく。なんのためらいもなく美味しいところを毟り取って、食い尽くすうちにとんでもない状態を作り出してしまう人間の残酷さ。そんな寓意の込められた作品であった。
 人間の恐さをオノは見抜いていたに違いない。

 亀田興毅のイメージは、メディア、コンビニ、ファッションメーカー、メガネメーカーなど様々な企業に毟り取られていく。それらの企業は”死肉”ではなく粋のいい”生肉”に群がっているのである。
 しかしその生肉が少しでも硬くなったら、即座に捨てられることになるだろう。今、亀田は柔らかい生肉のままでなければなければならなかった。まだ群がっている大人たちは毟り足りないのである。そこに今回の疑惑の判定が生まれる原因があったように思う。

 ちょっと美味しく見えるとよってたかって食べ尽くす。経済合理主義のもとに、日本はあらゆるところでこんな悲劇が起きているに違いない。
 
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by project_oij | 2006-08-03 15:46


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