泥魚亭好日記 〈美しさを楽しみ夢を育てる〉



風の又三郎

 人生をもう一度やり直すとしたら、何時から、何処からやり直したい?
その質問にあなたならどう答えるのだろうか。私には、明確にやり直したいその時と場面がある。

 1984年のことである。私は黒澤明監督の『乱』の衣装を中心に『黒澤映画の美術』という写真集を作っていた。その関係で時々撮影中の監督を尋ねたり、御殿場の別荘にお邪魔をしていた。
 そんなある日、当時勤めていた学研の古岡秀人会長から呼び出しを受けた。
 「キミは黒澤明監督と親しくさせていただいているようだが、監督に頼んで欲しいことがある。次回作に宮沢賢治の『風の又三郎』を撮ってくれるように頼んでもらえまいか。制作費は学研が出す」ということであった。
 まだ『乱』の撮影中であり、次回作の相談ができるのか不安であったが、食事にお誘いを受けた時思い切ってその話を切り出した。どうすればOKをしてくれるのか、考えた末に”殺し文句”を思いついていた。
 「監督、日本の子供たちが映画を監督の作品から見始めるというのはステキだと思いませんか?」
 監督は満更でもない表情を思い浮かべた。シメタ!と思って、間髪をいれず会長の意向を伝えた。すると即座に返事が返ってきた。
 「でも、僕が撮ると老人の思い出話になるよ」とおっしゃったのだ。
 意外な返事に、正直言って”これは困った”と思った。老人の思い出話になると会長が恐らく狙っているだろう、文部省特選をいただいて全国にいる販売員”学研のおばちゃん”に前売り券を売ってもらえなくなってしまうのではないか。
 小賢しくもそんなことを考えて、会長に伝えた。詳しくは憶えていないが、報告の仕方も大分トーンが落ちていたに違いない。「そうか……、難しいな……」と会長も迷われ、この話は消えていった、と思っていた。
 当時監督のマネージメントをしていた息子さんの黒澤久雄さんに会長の意向をありていに伝えていたからだ。
 ところが、黒澤監督の中では消えてなどいなかったのだ。監督の死後それが分かった。
死後出版された菊島隆三さんの日記の中にそれは書かれていたのだ。恐らく、私がその依頼をして翌日なのではないかと思われるが、監督は菊島さんに
「オイ、次回作が決まったよ!『風の又三郎』だ」と話されているのである。

 そうだったのだ、あの日から監督の頭の中ではもう次回作のイメージが駆け巡っていたのだ。どうして、私は「老人の思い出話」だからといって辞めようとしたのか。貧弱な創造力で小賢しくも興業成績などを第一に考えようとしたのか。そんなことではなく、黒澤さんの作品が作られることを幸せなこととして承諾していただいたことを無条件で受止めるべきだったのだ。会長にこれほど名誉なことはないと推薦すべきであったのだ。全ては後の祭りであった。後に悔やんでも悔やみ切れない後悔が残った。

 ほんとに、できることなら私はあそこから自分の人生をやり直してみたいと思っている。

実は、監督の執念を感じるような出来事がそれから続くことになった。 『風の又三郎』」は、以後私を執拗に追いかけているのだ。

 
[PR]
by project_oij | 2006-08-10 15:18
<< 続・風の又三郎 よってたかって >>


横山征次がOIJの理想をめぐる日々の想いを綴ります
以前の記事
2007年 07月
2007年 03月
2007年 01月
2006年 12月
2006年 11月
2006年 10月
2006年 09月
2006年 08月
2006年 07月
2006年 06月
2006年 05月
2006年 04月
最新のトラックバック
i get carrie..
from i get carried ..
2006 autodata
from 2006 autodata
テラびしょびしょw
from お・な・に・ぃ
cheap sprint..
from cheap sprint p..
ringtones ci..
from ringtones cing..
numa numa ri..
from numa numa ring..
real ringtone
from real ringtone
Fergie Clums..
from Fergie Clumsy ..
darth vader ..
from darth vader ri..
free wav rin..
from free wav ringt..
検索
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧