養老孟司さんの「バカの壁」「超バカの壁」、そして藤原正彦さんの「国家の品格」が売れに売れている。
ほんの少し前まで、お二人はほとんど無名に近い学者であった。お一人は解剖学、もうお一人は数学者。理学系基礎分野の地味な研究者である。お二人とも理学系である点に現代的な意味を感じる。
戦後間もなし、哲学者の西田幾太郎の「善の研究」が大ブームを引き起こす。戦争とは何であったのか。人間とは何なのか。人間いかに生きるべきか。日本人は根源的なところで自らにそう問い掛けていた。
やがて生活を立て直し、豊かな時代が始まると「列島改造論」である。何ができるか、だけを考える時代になっていった。工学や経営学がもてはやされる時代である。
「世界一の時価総額」を手に入れるために何が出来るかだけを考えて躓いてしまった若者も生まれた。
そして今、理学者のお二人は、人間とは何であるのか、日本人とは何なのかを問いかけている。戦後、焼け野原になってしまった国土を目の前にし、その現実の前でうろたえながら、何をすべきかを考えていた日本人が、間もなく物質的な富を得、より豊かさを求めて、何ができるかを考えた。そして、富だけでは満たされない自分に気づき、殺伐とした現実の中で、結局これは何であったのかと、反省する。
日本人は、戦後60年を経て、やっとバランスよく、何であるのか、何をすべきか、何ができるのかという問いかけを始めたということではないか。バランスよい問いかけはそれなりに時間がかかる、ということではないのか。
養老、藤原のお二人とも高齢になってからの“デビュー”である。大器晩成のお二人と言っては失礼であろうか。
戦後の日本も“還暦”を過ぎた。“大器”であるのかどうかは分からないが、我が愛する国家が“晩成”するために全力を注ぎたいと思う。
プロジェクトOIJの活動を始めてから、いろいろな“奇跡”に出会う。望んでいることを解決してくれる御仁が突然目の前に現れるのである。もう何度もそんなことが起きた。神秘主義者ではないが、何者かが後押ししてくれているような気がする。このプロジェクトを時代が待っていた、ということかもしれない。
生来楽天的に出来ているので余り信じてくれなくてもいいが、私は今、このプロジェクトOIJは必ず成功すると確信している。
プロジェクトOIJ専務理事 横山征次